kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

東日本大震災(その3)

今日は2011年3月11日14時46分発災の東日本大震災から

節目の10年を迎えました。

この大地震で犠牲になられた方は行方不明者、関連死を含め4万人

超にのぼるとお聞きしています。

この背景には犠牲者のご家族や友人・知人などの数字だけではない

ものが隠れています。

それに未だに避難生活を余儀なくされている方々も多く存在

します。

また家屋や会社などの物理的な財産の被害を含めれば更に多くの

方々が影響を受けられました。

何より、あの出来事が心(魂)に刻んだ記憶というものは10年

という時間で忘れるにはあまりに短か過ぎます。

先日の記事にも記した私の父方の本家ならびに親戚の多くは

幸いな事に福島県でも中通りにいますので家屋の損傷はあり

ましたが身体的な被害はありませんでした。

しかし聞くところによると震災以降、小さくても地震がある

度に動悸がして身が硬直し緊張してしまうと言っていました。

埼玉県に住んでいる私でさえ地震が起きる度に、あの震災の

津波の押し寄せる光景や瓦礫の山、避難所の様子、原発から

出たキノコ雲の映像を思い起こしてしまいます。

 

10年という節目を迎えて思う事は復興とか再生などという

言葉をよく耳にしますが、確かに物質面では少しずつ進んで

いるのだと感じます。

しかし人の魂の面で見れば復興はほんのわずかしか進んで

いないように感じます。

人は建物を建て替えるように簡単にはいきません。

でも皆、必死に顔を上げ前を向いて歩みを進めようとして

います。

ある人が「頑張って」の言葉がやはり力になるとおっしゃ

っているのを聞き、この言葉は被災者が言うのなら良いと

思います。しかし被災していない者達は安易に遣えない

と強く感じました。

それは皆すでに精一杯頑張っているからです。

今以上に鞭打つようなことは軽々には言葉にできません。

そんな事を思いつつ震災以降、意を強くした思いを書き

この記事を締めることとします。

 

私は「今日という日が人生の最後の日になってもいい

ように覚悟を持って込めて生きよう」です。

明日が必ずやってくるという人は存在しません。

それはマイナスの思考ではありません。

今日を精一杯生き抜いた人に明日はあるのだという

プラスの思考なのです。

私は今日も生かしていただいた事に心から感謝します。

最後に犠牲になられた御霊にお悔やみ申し上げます。

 

読んでいただき誠にありがとうございました。

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