kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

ペットたちを想い出す

今朝、日課の今日は何の日をチェックしていると「飼育の日」だそう

です。

まずはその説明から。

東京動物園協会が管理運営する多摩動物公園が発案したとか。

飼育係や動物園、水族館での仕事への理解を深めるとともに、施設への

関心を高めてもらうことを目的に制定されたとか。

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このことを知って、過去から現在まで共に生きてきたペットたちを

あらためて想い出していました。

私は犬も猫もどちらも好きなのですが、どちらかと言うとツンデレ

猫派かなぁ~と感じています。

写真の茶猫の方は2年前に11歳で永眠してしまい、黒猫の方は16歳

になった現在、もう歩くのもやっとで、食事も柔らかい物しか食べられ

ませんし、毎週、点滴に行っています。

黒猫の方は息子が公園で拾ってきた捨て猫ちゃんで、我が家に来た時は

全身しらみまみれで大変でした。

茶猫の方は近所が捨て猫が集まる所で、近所の人たちと数匹の猫を

手分けして飼ったうちの一匹です。

茶猫(りゅう)の方はとにかく大きくて体重はゆうに8㎏を超えて

10㎏にせまるビックキャットでしたね(*‘∀‘)

 

ペットを飼っていると、どうしても避けられないのが「別れ」です。

どの子との別れも、もちろん辛く悲しいものですが、私が50年経っても

忘れられない別れがあります。

ある日、家族みんなで一つ部屋で川の字になり寝ていると、早朝に

雨戸をドンドン!と叩く音がしました。

それが2度ほどあり、みんな目を覚ましはしたのですが、その原因を

確認することはしませんでした。

そうして、いつもの起きる時間になり私が雨戸を開けた時に、その

忘れられない事象が目に飛び込んできたのです。

飼猫の(じゅん)が縁側に朝日を浴びながら横たわっていたのです。

まだ小学生だった私は、じゅんはただ家に入れずに寝ているだけなの

だと思って抱き上げようとしたのですがピクリとも動かないのです。

そして抱き上げると身体はダラ~ンとしていました。

私は驚きすぐに両親を呼びました。

すると父が「じゅんは死んだ」と、ぼそりとつぶやいたのです。

間髪入れずに母が「明け方に雨戸を叩いていたのはじゅんだったん

だね。最期の力を振り絞って苦しい中、家に入りたかったのかな…」

と言ったのです。

私と妹は泣きました。

その時は悲しさもありますが、あの時に何で起きて家に入れて

やらなかったのだろうか、申し訳ないという思いの方が強かったのを

50年経った今でも記憶しています。

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写真は4年前に逝った愛犬のティナちゃん(メス・ボーダーコリー)です。

とても賢く良い子でした。

 

ペットを飼うということは別れを覚悟しなければならないものなのですが、

それよりも多くの大きくて何ものにも代えがたい無償の愛(大我)を人間に

与えてくれます。

よくペットは家族同然などと言いますが、同然どころか家族そのものです。

私が現世に生きている間は動物たちの無償の愛に癒され続けることでしょう。

 

今日も生かしていただけていることに感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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