kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

人は皆、魂の存在

私がこのブログを始めてから約3か月が経過しています。

その間に日常であった出来事や時事ネタ、今日は何の日などを中心に

書いてきました。

しかし私の本分と申しましょうか、思考(行動)の基本になっているのは

スピリチュアル(霊的真理)です。

ですのでブログ記事も、もう少しこのスピリチュアル(霊的真理)の事を

書く機会を増やしていこうと思います。

 

で、まず一番初めに書きたい(書かなくては)ことは何なのかを考えた

ところこのことしかないと即決しました。

それは「人は皆、魂の存在」であるです。

この事を簡単に解説していきます。

簡単にと申したのは、厳密に解説するとなると長文になって誰にも読んで

もらえないからです。

ですのでご了承ください(笑)

 

まず理解して欲しいのは「あの世」と「この世」です。

「あの世」を説明すると宇宙と言うと分かりやすいかもしれません。

その意味は無限であるということです。

それに誰(人)にも果てを視る事は出来ません。

それと昔から人が亡くなると星になるともよく言いますからね。

それと重要な視点は「非物質界」であるということです。

 

「この世」とは、そうですね地球(魂の学びの場)としましょう。

この地球では人は肉体を有し、重要な視点は「物質界」であるという

ことです。

 

では何故、神様はこの無限とも言える大宇宙に人が住み暮らすことが

できる地球という星(物質界)をつくったのでしょうか?

そこが正に今日のお題の「人は皆、魂の存在」だからです。

 

本来、全ての魂の究極の目的は神に近づく存在になることなのです。

しかし全ての魂には無数のレベルがあります。

高次の魂、仏教で言えば仏とか観音様と言う存在もあれば、怨霊など

に例えられる低次の存在もあります。

でもそのレベルが初めに決められたままであったならば、前記した

魂の真の目的の神に近づくことは永遠に不可能であるという事になって

しまいます。

それでは魂の存在する意義すらなくなってしまいます。

 

なので神様は魂を磨き、魂のレベルを上げて、神に近づくための

学びの場をつくったのです。

それが我々の住む地球(物質界)というわけです。

この地球(この世)は魂の学びの場であって、本来の我々の住む場は

あの世と言われる宇宙ということになります。

ですから多くの人がこの世(地球)が全てで、あの世はあるのだか無い

のだかよく分からないという誤解を解いていきたいのです。

 

もう少し付け加えれば、この世(地球)での我々の姿は仮の姿です。

魂の存在だけですと物質界では都合が悪いので、魂を可視化する為に

人間の姿の着ぐるみを身に着けているにすぎないのです。

ですから人の死とは肉体から魂が切り離されるだけで、着ぐるみを

脱いだにすぎないのです。

ですから、ご遺体やご遺骨に異常に固執するのはよくありません。

何故なら魂はあの世(宇宙)に戻り永遠に生き続けるからです。

これが、この記事の結論でもあります。

我々が「あの世」と呼んでいるところが実は真の魂の故郷であり

我々は全てが「魂の存在」であるということなのです。

 

ここまでで、何となく「あの世」と「この世」の違い、それと

テーマである「人は皆、魂の存在」ということが分かっていただけた

でしょうか?

ですから「この世(物質界)」でする経験と感動(喜怒哀楽)は

すべての事に無駄は無く、魂を磨く学びであると理解して下さい。

 

では、この記事はこの辺で〆させていただきます。

今日も生かしていただけていることに感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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