保護猫カフェなどを展開し、様々な事情で保護された猫「ホゴネコ」が
新しい家族と出会える場を提供するネコリパブリックが記念に制定しま
した。
記念日を通じて多くの人に保護猫がなぜ生まれるのかを考えてもらい、
一つの命を最後まで大切にする文化を日本に根づかせることを目的にし
ています。
5月25日を「0525」として、「ホ(0)ゴ(5)ネ(2)コ(5)」
と読む語呂合わせから本日になったそうです。
私の人生で猫は7匹飼いました。
うち3匹は他の方に譲渡しましたが、4匹は最期まで面倒みた(みれ)そう
です。
私が生活を共にした猫たちは全てお金を出して購入した者はおらず、譲渡か
拾い猫です。
以前、記事にも書いたことがあるのですが、どの猫たちにも其々の特徴と
想い出、思い入れがあります。
見た目は勿論、気性や性格など、どれ一つとっても同じ猫は存在しません。
最近では、添付の写真の茶と白の方の猫は約2年前にあの世に旅立ちまし
たが、この子は大型で見た目は堂々としたものですが、とても甘えん坊さ
んでした。
私が出掛ける時には着替えをしている時から「みゃ~みゃ~」と私を見て
鳴き出し、玄関でのお見送りの際はあきらかに「何で出掛けるにゃ~」と
怒っていました。
外出から帰ると必ずお出迎えしてくれますし、私がトイレに入ると出てく
るまで、お風呂に入ると出てくるまで、常に扉の所に座り待っていたほど
の愛をいただいていました。
黒猫の方はというと、これは「イッツクール」な子ですね。
普段はあまり自らスリスリと寄ってくることはせずに出窓に座り、外を
眺めている孤高の猫といった感じです。
しかしこの孤高の黒猫も一つだけ私にしかしない行動がありまして、娘に
はいつも「キモイ!」と言われていたのですが、私がこの黒猫のトラを抱
っこすると私の耳を綺麗に舐めまわすのです( ;∀;)
たまに耳たぶを噛んだりして自らの体を毛づくろいしているようにです。
何でその行動を取るのかは分かりませんが、とにかく飽きるまでやって
くれます。
私は勝手にトラちゃんの愛情表現だと思い込んでいます。
このように猫と言っても一匹一匹に個性があり、私は約26年の苦しい
闘病生活も、たっくさん癒されてきました。
一昨日も「野良ネコ生活も大変だろう…」という記事を書きましたが、
私は何故か猫に好かれるようです。
我が家の近所は野良猫のたまり場になっていた時期があったのですが
どんな時にも私が近寄って行くとゴロゴロと鳴いてなついたものです。
これから先の人生では、もう新たにペットを飼うことはしないと思い
ます。
それはもう私の方が早く旅立ってしまう可能性が高まってきたからで
す。
何かあったら他の家族が何とかするよ!と言われる方もいらっしゃる
とは思います。
しかし私は出来る限りペットは自分が看取りたいのです。
それが私のペットを飼う流儀と申しましょうか、愛情表現と責任の取
り方であると思っているからです。
メディアなどを通してみる保護動物たちの末路は幸せなものばかりで
はありません。
悲しい結末の方が多いのが実情でしょう。
そんな動物たちも一つの命であることは人間と変わりないと私は思っ
ています。
ペットを飼う皆には、どうかその命の重みと尊さを自覚していただき
たいと思う次第です。
まぁ~このブログを読んで下さっている方々は問題ないと信じていま
すけどね(*^^)v
では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。
本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。