kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

忘れてはいけない27年前の記憶(前編)

実はこの記事で、私がはてなブログにおじゃまするようにな

って丸一年が経ちました。

途中、体調不良や時間が取れずにお休みする日はありましたが、

だいたい毎日、何かしらの投稿をしてきて皆さまにご訪問いただ

き心より感謝申し上げます。

今後も出来る限り続けていきたいと思っていますので、つたない

文章や誤字脱字等もあると思いますが、お付き合いの程、宜しく

お願い申し上げます。

 

さて、その1周年に何を記事にしようかと思いましたが、昨日に

引き続き阪神淡路大震災に関して私の体験談を出来るだけ簡

潔に書いてみようと思います。

 

27年前のあの朝、テレビをつけるといきなり悲惨な光景が目に

飛び込んできて、何が起きているのか直ぐには事態をのみこむ事

ができませんでした。

私は仕事に行くための身支度をしながら、テレビに映し出される

光景をただただ観ていました。

出勤した会社でも話題はその出来事で休憩ルームにあるテレビに

人が群がっていました。

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そして日中、気もそぞろのなか何とか仕事をこなしていると、役

員から事務所にいる男子職員に召集命令が掛かりました。

集まった職員に役員から

「我々と関係の深い、大変にお世話になっている仲間の企業のあ

る神戸で大変な事が起きているのは知っていると思う。そこで我

々ができることはないかと考えた結果、ボランティアを早急に送

ることを決めました。そこで男子限定でボランティア活動をする

第一便のメンバーを公募します。この解散後、志あるものは上長

に申し出てください。」と告げられたのです。

その話を聞いて私は「間違いなく行かなくてはならない」と感じ

て志願することを決めました。

そして妻に直ぐに電話を掛け「神戸の被災地に今夜から行く事に

したから着替えと少しのお金の準備をしておいて」と連絡したの

です。

妻も特段取り乱すこともなく私の話を平静に聞いていました。

そして該当者は準備のために一旦帰宅し、18時に集合するよう

言われました。

一時帰宅したら妻は防寒になりそうなスキーや冬登山に行くよう

な装備(洋服等)を用意しておいてくれました。

私はお風呂に入り身を綺麗にした後に妻と幼い長男に見送られ、

再度、会社に向かいました。

 

会社に到着し集合場所に行くと、水やカップ麺などを満載した2

tトラックが3台用意されていました。

トラックの前面と側面には災害派遣と書かれた布が括りつけ

られていて、これから本当に被災地に向かうのだという気運が高

まっていました。

そして私を含めて体力自慢の若者6名が選抜され、簡素ではあり

ましたがボランティア第一陣の出陣式が行われ、我々は出発して

いきました。

この時はまだ、あんな地獄絵図のような被災地の現実が待ってい

るなどとはつゆとも想像もしていませんでした。

 

続く。。。

 

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