被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
それに加え東京都では新型コロナ感染者が1万1千人を超えた
そうです。
皆様も十分にお気を付け下さいませ。
さて、私は今朝起きたら懐かしい感覚の夢を見ていました。
私が中学生から30歳頃までの間、父の行きつけの店であった
所謂、町中華の「栄蘭」という店の夢です。
このお店は父の職場と自宅の通勤路のちょうど真ん中に位置し
ていて、カウンター6席に四人用テーブル席が3つのこじんま
りとした中華店です。
その「栄蘭」の常連の父は週に最低4日は通っていて、カウン
ター席の端っこが父の指定席になっていました。
父は必ず冷や奴を頼み、それに気分で野菜炒めかニラレバ炒め
を肴にビールを飲んでいました🍺
母も仕事を終えると父と一緒に「栄蘭」に週に3日は通ってい
ましたので必然的に私達子供の晩飯も中華料理が多くなります。
私が部活から帰るとテーブルにチャーハンと餃子とか天津丼に
ニラレバ炒めとかが置いてありました。
もう出前をする店員さんも慣れたもので、家に誰もいなくても
勝手に部屋に上がりテーブルに出前を置いて帰るのです。
私が自宅に居る時には夜になると「栄蘭」に電話をして、両親
に、今夜は味噌ラーメンと回鍋肉ね~と注文すると30分程で
出前される、とっても都合の良いお店でした。
その「栄蘭」さんも父が常連になっても嫌な顔をしないで我が
儘を聞いていたのは、父はヤクザな生き方はしていましたが、
飾らない性格で誰とでも明るく仲良くなってしまう人でしたか
ら「栄蘭」さんのお客さん連中からも愛されていたからです。
我が父と「栄蘭」さんの最大の逸話は、妹の旦那が結婚の許し
を得る挨拶(娘さんを私にくださいってやつ)に来た時にも、
こじゃれたお店や自宅で話を聞くのではなく「栄蘭」に連れて
行き、ビール🍺とギョーザ🥟を食しながら話をしたのです。
他にお客さんも居るのに、そんなことはお構いなしです💦
妹の旦那は今でも当時を振り返ると、たまげたと笑い話になっ
ています。
しかし、我が家御用達の「栄蘭」も私が30歳になる頃には
マスターの年齢と足腰への負担と腱鞘炎の悪化で鍋を振れない
と閉店してしまいました。
その時の父は本気で悲しんでいたのを覚えています。
そんな「栄蘭」のカウンター席で味噌ラーメンを食べている夢
を今朝がたに見たのです。
起きた瞬間から凄く懐かしい思いで胸がいっぱいになりました✨
しかし町中華って、何であんなに何食べても美味しいんですか
ね~( ^)o(^ )
あ~栄蘭の味噌ラーメン🍜食べたいなぁ~
今日も生かしていただけていることに心から感謝します。
本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。