kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

報道を観る側の感性が求められる

今日は「世界報道自由デー」(Worid Press Freedom Day」

です。

1991年のUNESCO総会議に基づき、1993年12月の国連

総会で制定された国際デーの一つ。

民主主義にとって表現の自由は必要不可欠なものであり、表現の

自由の侵害に対して抗議行動を起こすよう世界に呼びかける日と

あります。



この間、さかんに報道されている「ウクライナとロシアの戦争」

「山梨のキャンプ場での少女失踪」「知床半島の観光船事故」の

報道を観ていて私が強く感じたことがあります。

それは「報道を観ている側の私にも感性が求められる」という事

です。

戦争の報道では、どうしてもウクライナ人が可哀想とプーチン

(ロシア)が憎いという感情に偏ります。

それはあながち間違いではないのですが、ロシアの軍人の中にも

戦死者はいるし戦いたくない人もいるでしょう。

ロシアの軍人で犠牲になられた方々にも人生はあるし家族もある

ということを頭の片隅には置いておかなくてはいけないのではな

いかと思うのです。

誤解のないように言っておきますが、ロシアの蛮行を許す主旨で

はありませんので、あしからず。

 

山梨のキャンプ場での少女失踪で、子供の人骨や靴などが発見さ

れたことで、連日にわたり母親がテレビ画面に登場しコメントし

ていました。

この母親の心情も察するに余りありますが、何故そんなところに

人骨や靴などがあるのかは、誰の物かも含めて、事件と事故の両

面の可能性がある限り予断をもってみてはいけないと思っていま

す。

それは物事というのは時に、人の想像を超える事象が起こる可能

性があるからです。

 

知床半島での観光船事故で26名もの方が犠牲になられた事は本

当に悲しいと感じます。

楽しいはずの時間が人生の終わりになるなど誰も想像もしていな

かったはずです。

その後の報道でもずさんな管理体制で事故は起こるべくして起き

たとか、桂田精一社長の他人事感覚の人となりとかが明らかにな

ってきています。

これも報道では社長(会社)を悪者にして責任を負わせようとい

う方向に引っ張られがちです。

もちろん社長(会社)の責任は大きく問われるべきではあります

が、私はもしかしたら事前に防げた事故なのではないかと強く思

うのです。

これも誤解のないように申し上げておきますが、社長のことを擁

護するつもりは一切ないのであしからず・・

 

と、三つの大きな事柄を例に上げ、簡単にコメントを書きました

報道の自由を声高に主張するのであれば、それを観る側の

我々の判断力や感性も強く問われるのではと思うのです。

報道の一面だけをみて感情だけで決めつけるのではなく、その背

景や様々な視点からの物の見方などが重要ではないかと言いたい

のです。

その事が人生をすすめる上で人として向上できるのではないかと

も考えるのです。

この世の中ものには必ず「表と裏」「陰と陽」があることも忘れ

てはいけないのです。

どうでしょう、今日の「世界報道自由デー」を受けて私の考えを

書かせていただきましたが皆さんはどうお考えになりますか?

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