kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

孫の無邪気さを感じて

昨日の夕刻に娘が孫二人を連れてきました。

保育園に向かえに行った足で、我が家(実家)に置いてある私物を

取りにきたのです。

孫の成長とは早いもので、少しの期間会わなかっただけなのに、ま

た一段パワーアップしたような気がしました✊

それと嬉しい出来事がありました。

孫の上の子が私をはじめて「ジイジ」と呼んだのです。

前回会った時には、ママ・パパとか普段よく使う簡単な単語しか話

さなかったのに、昨日は「ジイジ」と私の手を引いたのです。

そしてわずか小一時間の滞在でしたが、廊下や部屋の中を走り回っ

たり、何にでも興味を示し私と遊んで過ごしました。

私はまだ?56歳ですので「ジイジ」と呼ばれる事に、いささかの

抵抗感はありますが事実は事実なので仕方ありません💦

でも、今後は名前で呼ばせるとか、何らかの方策を考えたいと思っ

ています😅

そして孫二人が帰り、嵐のような時が過ぎ去った後の家の静かなこ

と・・

音だけでなく空気も一変するのを感じました。

そして私は一休みと、リビングのソファに座りしばしこんな事を考

えていました。

小さな子供達や若い人で明るく元気で天真爛漫な様を見て、よく

「無邪気」だという言葉を使う事があります。

そう、正しく今の孫二人は「無邪気」なのです。

それは「邪気」という言葉の意味を改めて見直すと分かります。

「邪気」とは、人に害を与えようとする心。悪気(あっき)。

病気を起こす悪い気。物の怪(け)。じゃけです。

私はスピリチュアリストとして生きる決断をした時から、この

「邪気」を祓い、そんな気を持たぬように気を付けて生きている

つもりです。

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しかし修行半ばの私には、正直「邪気」「邪念」が全く無いと

言い切れる自信はありません。

でも今の二人の孫は「邪気」「無」です。

そうです、正しく「無邪気」なのです。

人というのは年齢を重ねる毎に「邪念」がうまれ「邪気」を発

するものです。

それがある未熟者だから故に、この物質界に生まれ、人の姿の

着ぐるみを身にまとい「経験と感動(喜怒哀楽)」を重ね、魂

の成長を促すのですけどね。。。

その「邪気」が全くない「無」なのが「神」ということなのか

もしれません。

ここにも釈迦の教、般若心経の中の「空」の考え方が出てきま

すね。

ですから、ある意味「無邪気」な子供達というのは「神」なの

かもしれません。

そんな子供達を大切にすることは当然のことながら、我々大人

も誰しもが「無邪気」な子供時代があったことを思い出し、

出来る限り「邪気」を持たない生き方をしなければなりません

ね。

なんて事を昨日は孫から感じた次第です😄

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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