kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

抜けてる記憶(想い出)

娘の子供達男子二人、すなわち私の孫たちは保育園に通ってい

ます。

それもあり孫と接する機会が以前よりも減りました。

しかし世界を見渡せば、幼稚園(保育園)や学校に行けない子

供達は山ほどいます。

その多くの子供達は労働していたり、貧困や飢餓に苦しんでい

る子たちも多くいると聞きます。

日本でも一人親や何らかの事情で、幼稚園(保育園)や学校に

通えない子供がいるとも聞きます。

何らかの病気や障害を除き、この一見すると豊に見える日本で

も子供の成長の場を奪ってしまう現実があるとすれば、それは

心が痛みます。

 

何故にこんな文章の書き出しになったかと言うと、今日は「幼

稚園記念日」だそうだからです。

1876年(明治9年)のこの日、日本初の官立幼稚園である

東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚

園)が東京の神田に開校したそうです。

当時、入園した園児は由緒ある家の子たち50名程であり、ほ

とんどが人力車や馬車で登園していたそうです。

 

現在の日本も待機児童の問題や保母さんの待遇の問題などを抱

えていますし、もとより子育て世代が住みやすい国家であると

は言えない問題が様々あります。

どうか政治家さん達にはくだらん発言ばかりしていないで頑張

っていただき、将来を担う子供達が明るく健やかに暮らせる世

にして欲しいと思います。

私がこう思う理由には自身の過去も関係しています。

私は幼稚園には初めの3か月しか通っていません。

ですから幼稚園の想い出というのは皆無です。

病気であったわけではありません。

ただただヤクザな生き方をしていた父親の所業に翻弄されて

いただけです。

親父は私が幼稚園に入学する前後に友人・知人・親戚に反社

会的勢力までにも多額の借金をしたそうです。

それにより親父も私たち家族も反社会的勢力に狙われる存在

になってしまい、所謂「夜逃げ」をしたのです。

それに伴い私たち家族は3年間程、全国各地を転々とする生

活をした過去があります。

なので私は3か月間の幼稚園児生活を経験したのみで、小学

校に入学するまでの間は家族か親戚かとしか交流がなく友人

など一人もいませんでした。

ですから当時も今も小児が歌ったであろう歌は記憶にないし

折り紙なども高校生になるまで折れませんでした。

なので我が子が入園や卒園の時などは号泣してしまったもの

です( ;∀;)

 

今となっては、そんな時期も親父のことも恨んではいませんが

一般的な人が持つもので「抜けている記憶(想い出)」は欲し

かったという寂しさは若干あります。

しかし、デロリアンでも無ければ過去に戻れませんしね(^^;

そんな経験からも世界中の幼い子供達には最低限の教育を受け

させ、一生心に残る記憶(想い出)を作ってあげたいんです。

 

もしこのブログを読んでくださっている方で、今現在、何ら

かの理由で子供を幼稚園(保育園)や学校に通わせることが

できない方がいらっしゃいましたら、どうか行政でも他人で

も何らかの力を借り(頼り)、子供を学びの空間に行かせて

あげてください。

その頃の経験や想い出は単なる過去では済みません。

人間(魂)形成における重要なものであります。

どうか当事者でない大人たちも未来を創る子供達を大事に

してやってください、切に願います🙏

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問頂き誠にありがとうございました🙏

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