kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

柔軟な対応(方便)

昨日、馴染みのスーパーに買い物に行きました。

その場では気付かなかったのですが、帰宅後にレシートをチェック

(昔の仕事のクセ)していると一つしか購入していない物が二重で

買った事になっていました。

このミスはレジではよくあるので「まぁ98円だしいいかなぁ~」

と一瞬思いましたが「いやいや✋されど98円だし、ミスをその

ままにするのも」と思い直し、店に電話を掛け事情を説明すると

次の来店時に返金してくれるとの対応でした。

当たり前の対応と言えばそのままですが、この一連の出来事から

イメージした事柄を記事にします。

学びの中で「清濁併せ吞む」という言葉を知りました。

それが出来る人かどうかで、魂の成長度合いをはかるというもの

です。

魂の成長(成熟)度合いとは何か、それは大我の愛の度合いとも

言えます。

世の中には「嘘は嫌いだから真実を語り続けたい」と言う人がい

ます。

確かに嘘はよくありませんが、全て真実のみを語るというのは時

と場合によっては違うかもしれません。

「嘘も方便」という言葉もありますが、では何故「方便」がある

のでしょうか。

それは嘘をつくのも動機が大我な愛であれば「嘘も方便」となる

からです。

時には「真実」を言わなくて良いこともあるのです。

何故なら神の摂理では「真実」はいつか必ず絶妙なタイミングで

知る時がくるものだからです。

よくテレビドラマや映画などで病の真実(余命)などをふせたり

して展開していくものなどを見かけます。

かくゆう私も多くの方をカウンセリングしていて、病の深刻さ

(余命)などを告げない事がほとんどです。

スピリチュアル・カウンセリング「キセキサポート」

私の実父もそうでしたし相談者様の多くは「本当のことを言って

ください」と言う場合が多いです。

しかし、いくら当事者が真実を知る事を望んでも知らない方が幸

せという場合がほとんどです。

真実を知ればそれなりの準備や対処、やりたい事や悔いの残らな

い生き方が出来るなどと言いますが、人間はそんなに強くもない

し、上手く行くものでもありません。

「知らぬが仏」という言葉もあるくらいです。

ですから物事というのは全てを明らかに生きることが理想のよう

に思えても、状況に応じた「柔軟な対応(方便)」が求められ重

要であることの方が多いものなのです。

人を騙して金品を搾取したり、自分の利益の為の嘘は決して許さ

れるものではありません。

しかし再度記しますが、その動機が相手を重んずる大我の愛によ

るものであれば許されるものとなるでしょう。

その、自分が嘘をつくという罪を犯しても相手を思いやる心に天

の慈悲があるものと言えます。

この記事はスーパーでの買い物の98円のミスから飛躍し過ぎな

のかもしれませんが、柔軟な対応という視点から書いてみました。

そして皆さんには、嘘をつくにも「大我な愛」か否かで判断して

いただきたいと思います。

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問頂き誠にありがとうございました🙏

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