kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

怒り(旭川いじめ問題)

今回は北海道旭川の中2女子(廣瀬爽彩さん)凍死(いじめ)の

続報を知っての感想を書きたいと思います。

 

以前の記事でも、私は常々、出来る限り物事を感情ではなく理性

で対処するように心がけていると書きました。

確かにそのことは、かなり実践できていると思ってはいます。

しかし、この旭川のいじめ問題」に関しては感情を抑えること

が困難になります。

 

昨日、新たに報道された内容によると、廣瀬爽彩さんは今年3月

旭川市内の公園で凍死して発見されたわけですが、おととしの

6月に市内の公園で他の生徒とトラブルになり川に入り自殺未遂

を起こした際に川の中から学校に電話を掛け何度も「死にたい」

と訴えていたそうです。

そこに至るまでにも相当な「いじめ問題」を抱えて生きていた事

は容易に想像できるわけです。

私の怒りはここからです。

その自殺未遂で学校に「死にたい」と訴えたことを受けて、道の

教育委員会「客観的にみて、いじめが疑われる事案」と判断し

対応するように指導していたにも関わらず、学校と市の教育委員

会は「いじめが疑われる事案として対処していなかったこと」が

判明しました。

遺族の代理人弁護士は学校と市の教育委員会について

「事態の悪化を放置した責任は極めて重い」とのコメントを発表

しています。

私も弁護士の意見と同じなのですが、こんなたった一行のコメン

トに収まるような心持ではいられない「怒り」をおぼえてしまい

ました。

だって中学生が川の中に入り「死にたい」と学校に電話してきて

いるんですよ。

それを、いじめを疑う事案として対処していなかったなんて正気

の沙汰とは思えないのです。

百歩譲って、いじめとして対処しなくとも、人が「死にたい」と

訴えてきているのに放置できますか?

それが教育を生業とする人々がとる行動なのか、いや、その前に

人として成すべき行動なのでしょうか?

 

以前の記事でも問題提起させていただきましたが、学校や市の教

育委員会はいったい何を守りたかったのでしょうか?

教頭が遺族に言った「多くの加害者側の将来」なのでしょうか?

もしそうなら、いじめられている一人の将来(命)より、加害者

の多数を優先する思考がまったく理解できないのです。

それが教育ですか?

それが人の道ですか?

そんな学校(教育者)ならいらん❕やめちまえ❕

曲がりなりにも先生(師)を名乗るなら、人として何が大切なの

かくらいはわかっていて欲しいものです。

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まぁ私がどんなに怒っても糾弾しても結果が大きく変わることは

ないでしょう。

私が言いたいのは、こうして発信していくことで「命」というも

のの在り方や、人としての「生き方」というものをきちんと考え

るきっかけにして欲しいということです。

決していじめをした加害者たちや学校、市の教育委員会に罰を与

えたいというのが目的ではないのです。

それは天が悪しきカルマとして記憶し当事者に必ず返るものだと

知っているから。

それよりも、今も今後もたくさん起きるだろう「いじめ」という

永遠の課題にどう対処していくべきかを人として真摯に向き合っ

て欲しいのです。

 

と、こうして記事を書いていても「怒り」が再燃しそうになるの

を抑えつつ一番心配しているのが、廣瀬爽彩さんが成仏できてい

るのかが気がかりでなりません。

これからの事は我々に任せて、どうかあの世(真の魂の世界)で

ゆっくり過ごしていただきたいものです。

合掌🙏

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