今日で9月も終わり、明日からは値上げの10月に入ります。
もし晩酌でビールを嗜む方などは、今日が買いだめのラスト
チャンスですので、このブログを読み終わりましたら直ぐに
お店に買いに走って下さい💨
さて、先ずはこの話題に触れないわけにはいきません。
ことです。
子供たちの「いじめ」を正す側の教師が先頭切っていじめを
していたという事実に私の逆鱗に触れると同時に呆れてしま
いました。
しかも生徒に対し障害があるとの決めつけもしていたとか。
もう開いた口が塞がらないですね(# ゚Д゚)
だから私はこの「はてなブログ」を通して、教師や政治家を
はじめとする「先生」と呼ばれる人間たちの品格(霊格)に
対して問題提起を続けているわけです。
おります。
でもそれは過去のものであって、将来の我が国の未来が本当
に心配でなりません。
どうか皆さんも協力していただき、自然も心も美しき「日出
国(ひいずるくに)日本を失わぬようにしていきましょう。
話は私の娘と孫の話へと変わります。
一昨日は孫の3歳の誕生日でした。
その日は昨日の記事にも書いたように私は実家に行ってました
ので、プレゼントは明日にでも届けに行こうと考えています。
ただ孫の誕生日のその日、娘から連絡が届きました。
「〇〇の誕生日なのに、ジャック(愛猫)が死んだ。明日、火葬
する段取りをした」でした。
私は「そうかジャック=^_^=はダメだったか。でも孫の誕生日に
逝ったのなら一生忘れることもないだろうし、それにジャックも
本望なんじゃないかな」と伝えました。
この愛猫ジャックはまだ飼いだして数か月しか経っていません。
と言うのは、道端に箱に入れられ死にかけていたところを娘が保
護したばかりだからです。
一時は病院で診てもらい写真のように元気を取り戻したのですが
獣医師からは長くは生きられないかもとは言われてたそうです。
私の娘は小さい頃から動物が好きで、暇さえあれば犬や猫の本や
写真集などを見ている子でした。
一時は獣医師を目指そうとした時期もありました。
そんな子ですから大人になり母になった今も自宅で2匹の大型犬
を飼っています。
そのどちらも少し障害がある訳ありで、売れ残りになってしまっ
たのを愛犬にしているのです。
私たちからすれば、幼い子(孫)が二人も居て、傷害のある大型
犬が二匹も居たら大変だろと心配しているのですが、そんな事は
お構いなしで、しかも死にかけた猫=^_^=を保護して世話をする
姿勢に頭が下がります。
娘に言わせれば、自分に面倒を見る体力と気力と財力がある限り
はやると言っています。
話を戻し保護した猫のジャックも瀕死の状態での発見だったので
すが、孫の二人は直ぐに大好きになり仲良しになったのです。
特に上の子はジャックをすごく気に入って遊んでいたのです。
ですから、その愛猫ジャックが自分の誕生日に亡くなってしまい
泣いていたそうです😢
そりゃそうだ、仲良しになって大好きになった愛猫が亡くなれば
3歳の子にとっても大変な悲しみであるに違いないのです。
確かに誕生日に大事なものを失ったことは大きなショックである
とは思います。
しかし、昔は家で命が生れたり、亡くなったりする出来事が普通
だったのです。
それが時代の流れ、核家族化と共に、命の誕生も病院になり、人
の死に目にも遭遇しなくなっていったのです。
それに我々は戦争の実体験もありませんから、人の死というもの
の感覚も変化してきていると思います。
なので何が言いたいかというと、子供たちに「命」というものが
何か「命」というものは永遠でもないし、その重みとはどういう
ことなのかを教える(知る)にはペットの果たす役割が非常に重
要になるのだと云う事です。
今回の件でも娘の行っている行為がどんな意味を持つのかや、命
(ペット)を飼うということの本質を孫たちも幼いながらに感じ
取っているはずです。
ですから楽しいはずの誕生日が悲しみに包まれたということも将
来には大きな良い経験になったはずです。
人も動物も魂は永遠ですが肉体は滅び死にます。
でも、だからこそそこにある「命」というものを本気で感じ考え
るだと思います。
どうか皆さんも人であろうがペットであろうが「死」というもの
を忌み嫌うのではなく、大事な学びであると捉えていただきたく
存じます🙏
では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。
本日もご訪問頂き誠にありがとうございました🙏