私の8月20日付の記事*1で書かせていただいた
旭川の中学2年生、廣瀬爽彩さんがお亡くなりになった「いじめ」問題の
続報になります。
これは娘を亡くした母親が携帯電話に残された数多の「いじめ」の証拠から
学校や教育委員会に(事実を教えて欲しい)と要望したものです。
私が感情的になり激怒した担任や教頭の言い放った言葉はともかく、その後
今年の4月に再調査をするとした旭川教育委員会からは未だに何の音沙汰も
ないとのことです。
この事で私が思い感じた事は、いったい教育の現場(学校・教育委員会)は
何を守りたいのか?ということです。
何故「いじめ」という事実があり、それが原因で廣瀬爽彩さんという一人の
命がなくなっているのに、その事実を認めないのか?
いったい何を調査にそんなに時間が掛かることがあるのか?
というのが、どうしても私には理解が出来ないのです。
人間の人格形成に大きな影響を及ぼす学校という場、その教育の現場が隠蔽
体質で保身にはしっていたら教育というのはいったい何なんでしょうか?
加害者の生徒達にも人権はあるし、教師といっても人間であることは十分に
承知しております。
しかし何で「いじめ」を認定するのに、こんなにもハードルが高いのか、ど
なたか詳しい方がおりましたら教えて下さい。
でないと私には、旭川教育委員会はお金や名誉や仲間を守るために正しい事
をしない人達として軽蔑し許せないという感情しか残りません。
私もお母さまと一緒で事実をきちんと知りたいのです。
それでないと爽彩さんを成仏させることはできません。
私も55歳の二人の子の親であり、二人の孫のおじいちゃんでもあります。
そんな一人の大人の責任として、悪い事は悪い、正しい事は正しいときちん
と言える人間でいたいから。
それが教育(人格形成)の基本のき、ではないのでしょうか?
因みに今日は孫の一人の2歳の誕生日です。
孫の将来を思うと、この旭川の出来事を他人事として簡単に片づけるわけに
はいきません。
皆さんは「いじめ」という問題も含め、どのようにお感じになりますでしょ
うか?
では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。
本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。
*1:感情的になってしまいました