kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

経験値というものにかえて

この記事ではおもいっきり私的な事を書きます。

 

今日は9月6日で語呂からすると「苦労(9・6)」と読めないことも

ありません。

これだけ聞くとネガティブに取れるかもしれませんが、私は自身の学び

から「苦労」=「経験」という言葉に変換して捉えるようにしています。

私はこのはてなブログ内でも幾度も幼少期からの自身の体験について記

してきました。

ギリギリ記憶の残る頃に父の借金問題で一家心中の計画からの夜逃げを

経験し、各地を渡り歩き、極貧時代を経たのが人生の最初の山と言える

かもしれません。

ですので私は幼稚園というものに2か月足らずしか通ったことがありま

せん。

小学校に入学するまでの約3年間は、どこか一か所に定住するという事

もなく、母の親戚や知人を頼り転々とした生活を送りました。

その頃は子供ながらに何処に居ても居候という負い目を持ち、自我を出

すことを我慢して生きていたのです。

一説には、その頃の体験が大きなトラウマとなり大人になってからの原

因不明の症状につながっているのではないかと言った方もおられました。

事情を知る親戚や知人から言わせると、子供ながらに「苦労」したんだ

ねと言われた事が多々ありましたが、私はこれを「苦労」とは言えない

のです。

何故なら、まったく自由などはありませんでしたし、水道の水を飲む事

すら遠慮する記憶もありますが、イジメにあったり、風邪などの病気に

なることもなく何とか生きてこられたのは高次の力に護られていたのだ

と強く思うからです。

 

そして小学校の入学と共に極貧生活も自我を出せない生活も少しずつで

はありますが改善していったのです。

 

そして様々な不可思議(スピリチュアル)な体験と経て、妻や子、戸建

ての家まで持てるようにはなりました。

 

ですが29歳の夏を境に人生の大きな変化が起き始めました。

そうです闘病の始まりです。

その症状の辛さというのは自身でも、よく生き延びられたと思う程のも

のでした。

当然、働きたいのに真面に働く事もできず、一日一日を生き抜くだけで

精一杯の時が何年も何年も続きました。

正直に告白すると、あまりの辛さに死を選ぼうかと考えた事もあります。

 

その頃は医療費もかかりますし、子供達も成長しますし、家のローンも

ありますから生活を維持するお金すら借金で賄う他なかったのです。

借金をするということは借りたものは返さなければならないということ

で、収入のほとんどなかった私は借金を借金で返すという泥沼にはまっ

た時代でもあります。

ネットで闇金にひっかかり命の危険すら感じた経験もあります。

 

そんな人生どん底状態で明日をも見れない時になると、不思議に助け船

がくるのです。

母から「定期が満期になって返ってくるお金があるから、そちらに回す

から子供達に美味しいものでも食べさせなさい」とまとまった金額を融

通してくれたり、ある時には友人から「弊社の全体会合で講演会を開き

たいから話をしてもらえないか」と割りの良い話が舞い込んだ事もあり

ました。

このように、もうダメだと生きる希望を失いそうになると何らかの助け

が入り、また生かされるという繰り返しだったのです。

 

そしてスピリチュアル(霊的真理)の考え方と出会い、深く学びをして

いくにつてれ、いかに私が高次の存在(神様・守護霊様)に護られてい

るのかを痛感したのです。

 

で、本日の記事の結論としては、私の闘病からの流れは一般的に視れば

「苦労」と呼べるものかもしれませんが、スピリチュアル(霊的真理)

の視点からするとこれは単なる「経験」なのです。

ですので先に記した「苦労」=「経験」ということに変換することがで

きるのです。

私の口癖に「人生は経験と感動(喜怒哀楽)の積み重ね」という言葉が

あります。

これはスピリチュアルを学んでいる方には共通語だと思いますが、人生

とは魂を磨くためのものであるという意味です。

ですので私は今まで生きて来て体験してきたキツイ事柄(苦労)は全て

自身の魂を磨き輝かせるための「経験」にすぎないと考えています。

 

なので今日、9月6日=苦労の日ではないという落ちになります(^^;

 

私の言いたい事が一人でも良いから伝わってくれていれば嬉しいのです

けどね(*^^)v

 

追伸:背部(背中)の激痛発作は今朝には嘘のように消え去りました

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

peraichi.com