kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

旅に出ている人や遠くに住んでいる人の無事や安全を祈るには?

このはてなブログにお邪魔するようになり、様々な記事を拝見してきました

が、とりわけ「旅のお話」や「病気や健康」「家族について」の記事を目に

する機会が多い私です。

 

そこでこの記事のお題は「旅に出ている人や遠くに住んでいる人の無事や安

全を祈るには?」について書いてみたいと思います。

 

まず大前提となるのが、どんなに相手が遠く離れて(海外)いても、無事で

いて欲しい、元気でいて欲しいという思いは必ず通じるということです。

テレパシーというのはスピリチュアルなものですから、物理的な距離など関

係なく飛んで行くものなのです。

そして飛んでいった念は相手に届くだけではなく、相手を守るバリアとなる

ものなのです。

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例えば遠く離れた地に居る母親が息子の事を考え「きちんと食事は摂ってい

るのかなぁ~」なんて考えていると、不思議と息子の方は「さぁ飯でも食う

か!」と食事をする気持ちになったりという具合です。

 

さて強いテレパシーを飛ばすにはどうしたら良いのでしょうか?

その一番良い方法は思う人の写真をよく目につく場所に飾っておくことです。

写真は相手をリアルにイメージさせるものなので、念を込める対象物として

は最適というわけです。

テレパシーそのものは、どこにいても送ることは可能ですが、対象物があれ

ばより強い念を送ることが可能になるのです。

欧米などではよくリビングなどに家族の写真などをズラっと飾ってあるのを

見かけますが、あれはスピリチュアルの視点からみて大変に良い事になるの

です。

飾った写真にはできるだけこまめに声に出して話かけ言霊をかけてやるこ

とが大事なのです。

相手のガーディアン・スピリットにも「この人をお守りください」とお願い

すると尚いいでしょう。

 

というわけで、旅に出ていたり遠くに住んでいる人の無事や安全を祈るには

手をあわせ天に願うことも良いですが、写真などがあればより具体的に強い

念(テレパシー)を送り届けることが可能です。

胡散臭く感じるかもしれませんが、要するに空(宇宙)は世界中どこに居て

もつながっているということなのです。

そして人が発する念(テレパシー)というのは想像よりもはるかに強いエネ

ルギーを持っているのだと認識してください。

 

皆さんにも簡単には会えないけれど、気にかけている人の一人や二人はいる

のではないでしょうか?

今日はそんな人の無事や安全を強く祈ってみてはいかがでしょう。

必ずその念(テレパシー)は相手に伝わりますからね(*^^)v

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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ツイている人とツイていない人の違いは何?

この記事では私がカウンセリングをしていて、よく耳にし、気にしている人

が本当に多いんだろうなぁ~と感じることをお題にスピリチュアルの視点か

ら解説してみたいと思います。

それは「ツイている人とツイていない人の違いは何?」です。

私がカウンセリングする人の第一声に

「私って最近ツイていないんです」

と言う人がとても多くいらっしゃいます。

どうやらツイていないから不幸な目に遭っているのだと勘違いしている方が

多いのだと感じるのです。

しかし、その発想は間違いです。

 

誰にだって好調な時期はあるし、なんとなく冴えない時期はあるものです。

その好不調は波のように変化し人やタイミングによって長さが違うだけの

ことなのです。

それにもかかわらず凄くツイているように見える人は、好調な時期を逃さ

ない人と言えるのです。

 

ツイていない人とは、せっかくきているチャンスに気付けない人や気付い

ても「どうしたら…」と悩んでいる間にチャンスを逃しているタイミング

の悪い人と言えるのです。

 

要はチャンス到来の小さな前触れに気付けるような直感の冴えと、絶対に

チャンスを掴むぞという念力と集中力が大切になるのです。

 

直感を日ごろから冴えた状態にするには、一日に一度でも心を静寂にする

時間をつくってください。

体調管理も怠りなく、食事にも気を配ってください。

肉食を減らすと感覚が鋭敏になります。

質の良い睡眠をとることもとっても大事です。

スピリチュアルワールドの門が開くとされる丑三つ時(午前2時頃)に

一番深い眠りについているようにすることが良いとされます。

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トータル睡眠は個人差はあるものの6時間位がベストではと言われていま

す。

部屋に緑(樹木)を置く事やパワーストーンを持ち歩くのも一つの手では

あります。

それと、きちんと氏神様参りをされることも忘れずに行ってください。

 

これらのことを実践して直感力を高めて良き運気(チャンス)を逃さない

ように過ごしてくださいね。

チャンスを掴むのは、あなたの行動次第です(^_-)-☆

では今日はこの辺で終了とします。

 

今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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息子からの報告と観世音菩薩様

昨日、陽も落ちはじめ、そろそろ風呂にでも入ろうかという時刻になった

頃に携帯に息子から着信があり

「ちょっと話があるからこれから行く」と連絡がありました。

なんとなく近くに居る雰囲気だったので、到着までにそんなに時間も掛か

らないだろうとテレビのニュースを観ながら待っていると勢いよく玄関を

開け息子が入ってきました。

「あい、あげる」って手渡されたビニール袋には、何故かカップ麺が数種

類にレトルトのカレー、牛肉のカルビ焼き肉用2パックなどが入っていて

「何これ?」と聞くと「まぁ~昼にでも食べて」と。

肉はすぐに焼いて晩飯で食べるとして、後は腐る物でもないし「ありがと

う」と受け取ると、息子はソファーに殿と座り「ふぅ~」と大きなため息

をつきました。

私が「なんだ話って?」と聞くと

「あのさ、子供ができた!予定日は1月15日だって」

「おう、そっかおめでとう!いよいよパパになるんか~」と切り返すと

「ちゃんと育てる自信なんてないけどね」と笑った。

私は「皆、産まれるまではそんなもんだ。自信なんてありゃしないで手探

りで必死に育てて子供に親にしてもらうもんだよ」と言った。

「まぁ~やるっきゃないな」と言ったので、これ以上の言葉は不要だろう

と感じました。

その後の会話は割愛しますが、私にとって三人目の孫のご懐妊の報に知ら

ず知らずのうちにテンションが上がっているのを自ら感じ取りました♬

先日、記事にもした愛猫が亡くなったことで少し寂しさを感じていた心に

新たな風が吹き込んだことは間違いありません(^^)

 

そして慶びの心持で眠りについた私に、またまた高次の存在からの御言葉

を賜りました。

それは「観世音菩薩」様からです。

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夢の中で何処かはわかりませんが、お寺の本堂で大勢の人々と僧侶の説法を

本堂の一番後ろで受けていました。

その説法の内容は生きる意味だったように感じます。

そして私は自身の後方に物凄い波動を感じ振り向きました。

すると大きく開いた本堂の入口の反対側に違う建物(東大寺大仏殿のような)

があり、その中心に写真にあるような「観世音菩薩」様が鎮座していました。

そして私が「あ!」と、「観世音菩薩」様の方向に向き直り正対するとこう

告げられたのです。

 

「あなたが持つ力を真に発揮してゆく時が来たことを自覚していますね。

 あなたのことを多くの人々が待っています。よろしくお願いしますね。」

と「観世音菩薩」様が私に告げると目が覚めました。

そして私は涙を流していたのです。

 

と、このような事を書くと、そんなのはただの夢だよと、ほとんどの皆さん

は言うと思います。

しかし私の場合、瞑想中の場合と多くは眠りについている時に高次の存在か

らのお告げを賜ります。

それにはきちんとした根拠とも言える事があります。

スピリチュアルを少しでも学んでいる方ならご存じだとは思いますが、人が

眠りにつくということは肉体の回復や脳の記憶の整理の他に睡眠時には人は

あの世(霊的世界)に一時帰宅してエナジーチャージを行っているとされて

います。

ですので人は睡眠不足になると肉体的な疲労もそうですが、精神的(心)に

も大きなダメージ(負担)があるとされているのです。

このことからも、私に起きるこのようなスピリチュアルな現象の数々はただ

の夢でもなく、妄想でもなく、作り話でもなく、すべて真実(事実)なので

す。

 

以前、記事にも書いたので記憶にある方もいらっしゃるかもしれませんが、

ついに私の魂レベル(ステージ)がまた変わるタイミングがきたのだと思い

ます。

なので私は自身のネジを巻き直し、更に精進し「観世音菩薩」様の御言葉を

真摯に受け止め実践するべく過ごしていく所存です。

 

どうか皆さん、こんな私を今後とも宜しくお願い申し上げます。

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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平和と健康を心の底から祈る

この記事では二つの祈りについて書きます。

 

まずは今日は沖縄戦慰霊の日」です。

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*写真はイメージ

もう76年経ったのか、まだ76年しか経っていないのか、その立場の違い

で時の過ぎる感覚は違うと思います。

しかし皆が共通して願い、心の底から祈ることは「平和」です。

同じ人間同士が互いに傷付けあい、殺し合うなどということは何があっても

決してあってはならないことなのです。

世界に目を向ければ、今も現在進行形で紛争が起きている地域が存在します。

日本も北朝鮮のミサイルや中国の海洋進出などで常にきな臭い臭いがしてい

ます。

どうかこの先、誰かが傷つく争いが起きないことを切に願います。

 

そのことへの願いや祈りを一層強めるのが孫の存在です。

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昨日、少々用事があったので娘が孫二人を連れて来ました。

その 二人の屈託のない笑顔を見ていると

「どうかこれから先、平和な世の中で健康で元気に育って欲しい」との

思いしかありませんでした。

私としばし遊んだ後、帰り際に上の子が帰りたくないと駄々をこねている

様子を見て、おじいちゃんとしては感無量と申しますか、愛おしさで胸が

いっぱいになりました。

もう私も中年から初老へと足を突っ込もうという年齢になってきましたが

とにかく繰り返しになりますが「世界の平和」を心の底から祈ります。

どうかこの孫たちが戦争などという非情で醜い出来事に遭遇しないことを

願い今日の記事は終了と致します。

 

今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

 

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古い写真や手紙を処分すると罰が当たる?

今回の記事はスピリチュアルの視点からの嘘・ホントです。

不定期発信ですが勝手にシリーズ化しています💦

 

お題は「古い写真や手紙を処分すると罰が当たる?」です。

昨今は断捨離が話題になり、物を整理する(捨てる)ことは心も整えるなど

と言われたりしていますよね。

皆さんも断捨離をしたり興味ある方は多いのではないでしょうか。

ではお題の答えはどう思われますか?

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答えは✖です。

 

罰が当たるなんてことはありません。

6月19日付の記事に「愛猫のトラちゃん天に逝く」を掲載し、翌日に

 遺影になる写真を整理していた時に、この教えを思い出しました。

 

旅行やイベントなどで撮った写真や人にいただいた手紙などは簡単に捨て

られずに溜まりがちなものです。

それらを断捨離や持ち物の整理をするときに、どう処理・処分すれば良い

 のか考えたり悩んだ事はありませんか?

写真や手紙はただの紙切れとは違い、想い出や相手の気持ちがこもってい

るからです。

なんとなく簡単に捨てたりしたら罰が当たるような気さえするかもしれま

せん。

 

しかし安心してください。

罰が当たるなんてことはありません。

一生、とっておくのも難しい場合は処分して構わないのです。

仮に自分が一生の想い出と取って置いたとしても、亡くなった後は誰かが

整理し処分しなければなりません。

おすすめは、本当に大事な物だけを取って置き、後は潔く処分してしまう

のが良いかと思います。

 

物は捨ててなくなってしまうかもしれませんが、想い出は自身の中に深く

刻まれていますし、手紙をくれた相手の思いも心の中には深く残っている

ものだからです。

 

ただし注意したいのは心霊写真ぽい(オーブなどが写り込んでいる等)物

で気になる場合は出来るだけ、お祓いをしたり神社やお寺に相談してもる

のも手かもしれません。

 

というわけで、古い写真や手紙を処分するのは問題ありません。

まぁ~現代は写真もデータで保存している方が多いでしょうし、手書きの

手紙(年賀状など)も少なくなり、メールやLINEが主流でしょうから

あくまでも古い物になるとは思いますけどね。

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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旅の話(キセキの出会い編)

私が27歳の年は一年間にハワイへの6日間の旅が2回に、出張名目で7日

アメリカのシアトルとロスアンゼルスに滞在するという、アメリカ三昧の

期間がありました。

その時のハワイでの想い出やシアトル~ロス(ヨセミテ国立公園含む)など

の想い出は別の機会に記事にさせていただきます。

 

この記事では、この一年に3回の海外経験で「キセキ」と呼べる出会いがあ

りましたのでそれを記したいと思います。

 

まずは2月に一応オフシーズンのハワイに2度目のプライベート旅行に行き

ました。

この時は1度目にハワイに訪れた時に次は必ず行くと決めていた、ハワイ島

への移動も計画していました。

そして当日、私達がホノルルへ向かうために乗り込んだ飛行機は「ノースウ

エスト航空」でした。

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ノースウエスト航空」は2010年にデルタ航空経営統合し、今はデル

タ航空となっています。

そのホノルル行の機内で唯一乗務していた一人の日本人女性(キャビンアテ

ンダント)のAさんがいました。

そのフライトで何故Aさんが印象に残っているかと言うと、初めてのハワイ

旅の時と同じく興奮から機内で眠りに付けないのでエコノミー席の一番後ろ

にある機体最後尾のトイレの近くの窓から外の星を眺めていました。

すると私が具合でも悪いのかと気にかけてAさんが優しく声を掛けてくださ

ったのです。

私が事情を説明すると笑顔で自らの休憩の時間を削り話相手になってくれた

のです。

その時に制服についていたネームプレートでAさんの名前を確認しホノルル

に到着し別れ際に丁寧にお礼をしたのでした。

 

そして時が少し流れ、6月に今度は会社の社員旅行でまたまたハワイへの旅

があったのです。

私はこんなにも短い期間にハワイに行ける喜びが、いっぱいで成田空港に向

かい夜21時頃のフライトへ。

そして乗り込んだ航空会社は、これもまたノースウエスト航空だったのです。

そして席はどこだろうと機内に入った瞬間にキセキ第一弾が目に飛び込んで

きました。

機内で出迎えに立っていたキャビンアテンダントさんは、カチッとした制服

ではなく、アロハを着たAさんじゃありませんか!

私は思わず「あ、Aさん!またお逢いましたね☺」と大きな声を掛けてしま

いました。

Aさんは「あら~」と満面の笑顔で軽く会釈し「バカンスですか?」と声を

かけてくださいました。

「はい、今回もよろしく!」と返すと「はい☺」と、ちょっとお茶目な顔を

して出迎えてくれました。

そしてフライトが進み、機内が暗くなり就寝モードになった頃に私はまた

Aさんとしばしのおしゃべりタイムを楽しみました。

 

と、ここまでは、ただの偶然のよくある話で終わるはずでした。

 

が、ここからが「キセキ」と呼べるような出会いの話になります。

私はこの年、3回目の海外フライトが10月に待っていました。

これは会社で進めている新たなシステム導入の調査名目での出張でありま

すし、プロジェクトの一員としては真面目に取り組まなければならないも

のでもあったのです。

そしてその出張(調査)のスケジュールが私に届き目を通した時にキセキ

の予感が全身にはしりました。

それは、その出張のスタートの成田発、シアトル行のフライトの航空会社

ノースウエスト航空とあったからです。

私は特にマイルを貯めてもいないし、航空会社への深い拘りなどは持って

いません。

しかし一年に3度あった海外フライトが全てノースウエスト航空だったこ

からして偶然というのではなく必然と感じました。

そして私はこの先に起きる出来事をどこかで確信しながら日々を過ごして

いました。

 

シアトルに行くフライトを成田空港のロービーで待っている間に私は

「まさかなぁ~そんなことはあるはずがないよなぁ~」と考えながら時を

待っていました。

そして、ついにそのキセキは起きたのです。

そうです皆さん、もうお分かりですね(^_-)

飛行機内に入って出迎えたキャビンアテンダントさんはAさんだったので

す!(^^)!

お互いに顔を見た時は目を見開き、しばしの絶句!

私は「やっぱりね~」と言い、Aさんは「いつもご利用誠にありがとうご

ざいます」と、またまたお茶目な笑顔を浮かべながら私のチケットの座席

を確認しました。

しかも座席はエコノミークラスの最前列で離着陸の時にキャビンアテンダ

ントさんが目の前に座る席ではありませんか。

そうです離陸の際、目の前にAさんが座っていることに「キセキ」という

運命を感じました。

私はAさんの仕事振りを拝見しながら、その「キセキの出会い」に胸が熱

くなっていたのを記憶しています。

そして私たちは就寝タイムにまた機内最後尾で話をしたのです。

まずAさんが「今日はスーツなんですね?」と会話を切り出し、私は「そ

うなんです一応、仕事なんですよ」というところからのスタートです。

そして互いに「キセキ」のような出会いに感激し、どちらともなく

「今度、日本で一度会いましょう」ということになり、連絡先を交換しあ

いました。

そして何度か手紙でやり取りをした後に一度だけAさんと渋谷で食事をし

ました。

その時に食べたイタ飯は美味しかったです(^^♪

 

で、皆さんはここから先の二人の話の妄想が膨らんではいませんか(;^_^)

残念ながら若い私(男)と若く美しいキャビンアテンダント(女)の先

は文通はしましたが二度と会う事もなく、勿論、不貞行為などもまった

くなく「ノースウエスト航空がつないだキセキの出会い」として良い想

い出となったわけです、ちゃんちゃん♬

そりゃそうだ!

私には妻も子もありましたし、Aさんにも恋人がいましたし、下心が全

くなかったと言えば嘘になるかもしれませんが、懐かしい幼馴染に出会

ったような感覚といえば心情が皆さんにも伝わるでしょうか?

 

と言う話だったわけで、これは私の妄想が生んだ作り話でもなければ、

安っぽい小説の転用でもありませんよ(;^_^

全て真実です。

しかし、こんな事があるんだなぁ~って思いませんか?

私には一生忘れえぬ最高の出会いの一つになっています。

今後も善き出会いがたくさんあることを願いこの辺りで〆させていた

だきます。

 

今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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父の想い出と警視庁採用試験

今日は巷では「父の日」だったそうですね。

どうも「父の日」は他のそれとは盛り上がりに欠けるように感じます。

 

そこで私も一応、父親であるのと同時に当たり前ですが子供でもあるわけ

で昔のアルバムを見ていた(昨日、愛猫が亡くなったので写真の整理)ら

もう亡くなった私の父の写真が出てきました。

 

以前、このはてなブログでも私の幼少期の出来事とともに父の事も書いた

ことはあるのですが、最近になりお蔭様で読者が増えてきたので知らない

方が圧倒的だろうと改めて新ネタとともに少し書いてみます。

 

私の父は若い頃からヤンチャしていて、簡単に言うと喧嘩に賭け事にと

ヤクザな生き方をしてきた人間です。

それにより私達家族は皆殺しにされそうになったりして、夜逃げをして命

拾いをしたり極貧時代を経験するなど様々な体験をしてきたわけです。

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そして紆余曲折あり埼玉県の南部に定住して私が高校3年生になった時に

大学に進学(推薦)をして野球を続けるか?社会人(某有名企業)野球の

誘いに乗るか?小さい頃からの夢であった警察官になるか?と少し悩んだ

時期がありました。

そして私が出した進路の結論は「警視庁に入り警察官になる」でした。

 

何故に埼玉県警ではなく警視庁なのかと言うと、親戚に何人もの警視庁の

警察官がいたからというのが大きな理由です。

その頃は一般入試で大学に行くという選択肢は私の中にはありませんでし

た。

極貧生活を経験していることもあり親に金銭的な負担をかけてまでも進学

するなんてせずに、出来る事なら早く社会に出てお金を稼ぎたかったのが

本音です。

 

そして高校3年生の秋に「警視庁採用試験(一般)」を受験しました。

一次試験はまず学科(公務員一般に近い)で、非常に広い範囲での出題で

すので難しく受かる気がしませんでした。

それはそうです私の受験した時には全国から約1500名の受験者があり

一次合格は150名と言われたからです。

それがたまたまうまくいったようで受かり、二次の面接や身体測定などの

適正検査に進むことができました。

その中身は話のネタには凄く面白いので今度また改めて記事にします。

 

そして、その適正試験も面接も通過する事ができ内々定を決めるための

身辺調査に入ったのです。

今はどうか知りませんが、当時は身辺調査に所轄の警察官が私が住む家の

近所の聞き込みをして回ったり、我が家にアポなし飛込み家庭訪問などが

ありました。

秋に始まった試験は季節が進み冬になっていました。

年も明けて春も近くなってくる頃になっても合否の最終結果はきていませ

んでした。

ただ学校の担任や進路指導の先生からは「今まで連絡がないのなら大丈夫

だろう」と言われていたので私は合格したものとして安心しきっていまし

た。

そして2月も中旬を過ぎた頃に警視庁から一通の封書が届きました。

私は合格通知だろうと半ば笑みを浮かべながら封を開けると、その内容に

愕然としました。

そうです「不合格」だったのです。

私はしばらく呆然としてしまいました。

そしてそこから高校卒業も近いのに進路を決めなければならなくなったの

です。

 

まぁ~ここまで長々と書いてきたわけで、

と言う経過を辿ったわけですが、ここからが私の父の想い出の話になりま

す。

私がこの土壇場で「警視庁採用試験」に落ちたのは、自分(父)のせいだ

と言い出したからです。

父は警視庁の親戚に経過を話し尋ねたようなのです。

その時に、もしかしたら父の過去の行い(逮捕歴)等が関係しているのか

もしれないと言われたらしいのです。

父は私に何度も何度も謝りました。

「俺のせいで申し訳ない」と。

私はというと不合格の結果については少しショックではあったが、意外に

切り替えも早く大して気にもしていなかったのです。

でも父は私に謝り続けました。

それが私がきちんと就職してからも、結婚したり子供(孫)が産まれたり

しても、父自身が大病で入院し死にかけた病床でも事あるごとに私に

「警視庁に行けなかったのは申し訳なかった」と謝っていたのです。

 

ですから私が18歳の時から父が死ぬまで私に謝り続けたのです。

それが、どういう真意だったのかは、私が父になり孫もできた今になって

わかる気がするのです。

 

でも私は警視庁の警察官になれなかった事には、今も昔も後悔はないし

父を恨んだり憎んだりした事は一切ありません。

その頃から私は「人生はいろいろあるもの」と割り切っていたからです。

でも父は私の警察官の制服姿を見たかったのかもしれませんね。

 

これが私が今日の「父の日」に思い出したことでした。

皆さんは父の日で何か出来事はありましたか?

 

では今日はこの辺で終わりにします。

長々とすみませんでした(;^_^A

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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