kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

心からのお悔やみとお見舞いを

昨日(7月3日)またまた大きな災害が起きてしまいました。

 

静岡県熱海市伊豆山で土石流が発生し、お亡くなりになられた方も

複数人いらっしゃいます。

また安否不明者も多数おられます。

 

お亡くなりになられた方々には心よりお悔やみを申し上げます。

 

また、お怪我をなされたり多大な損害を被った方々にはお見舞いを

申し上げます。

 

ここだけではなく、また観測史上最高の…という言葉とともに被害

に遭われた地域をあるようですので、あわせてお見舞い申し上げま

す。

 

これからまた梅雨末期の大雨があるやもしれません。

どうか皆さまも災害などに遭われませんように十分にお気を付け

ください。

 

今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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香港でのニュースを観て

ここ数日、梅雨が本気を出したようで各地で大雨が降っています。

該当する地域の皆様は被害に遭われませんように十分にお気を付けて

お過ごし下さいませ。

 

さて昨日、ニュースを観ていたら香港でデモを行っている人なのか…

急に警備にあたっている警察官に刃物で襲いかかるという光景を画面

で観ました。

警察官は重症で犯人は自殺を図ったと報道されていましたね。

香港の情勢から強い思いがあってのものであるとの想像は難くありま

せんが、残念な行動であることは間違いありません。

 

で、このニュース映像を観て、私自身が刃物を持つ人間に人生で2度

対峙した経験を思い出したので記事にします。

 

一度目はもう40年以上前の中学生時代です。

私のクラスのある生徒が家庭の事情でとても貧しくお風呂に入れてい

ないという事があったのです。

その子は入学当初から話題の生徒でゴキブリという、あだ名をつけら

れていました。

確かに髪の毛は油でテカテカでありましたし、近くに寄ると体臭なの

か異臭がしていたことは事実です。

まぁ中学生の年頃で何日も風呂に入らなかったら、どうなるかは想像

が付きますよね。

そんな子でしたから女生徒は近くには寄りませんし、男子からもイジ

メというより、言葉でいじられていたのは事実です。

ある日、いつものように何人かの生徒がその子を言葉でいじっていた

ら何とポケットからナイフを出し一人の生徒に向けたのです。

その出来事を少し離れた場所で見ていた私は正義感とか恐怖とか理屈

ではなく自然に体が動き、その子に駆け寄りナイフを持つ手を両手で

力いっぱいに掴み「捨てろ!」と叫んでいたのです。

ナイフを向けられた生徒は呆然と固まっていましたし、その子は無表

情のままでした。

どの位の時が流れたかは定かではありませんが、私が二度目に「捨て

ろ!」と言った時にナイフをぽとりと床に落としました。

これで大事には至らずに済みました。

それからは誰もその子をいじりはしなくなったのですが、その子もし

ばらくして学校に来ることはなくなってしまったのです。

そしてその子は引越したという話だけは聞いたという記憶です。

 

二度目は私が小売業界で店舗で業務にあたっている時の出来事です。

私が事務所にいると一人の職員が血相を変えて入ってきて

「大変ですベーカリーの売場で男が暴れています警察を」と言ってき

たのです。

私は直ぐに事務員に110番するよう伝えると現場へと急行しました。

するとベーカリー売場の前で男が刃物(包丁)を持ち何かを叫んでい

るのを現認しました。

その男はベーカリーで働くパートさんの元夫だったのです。

何故それが分かったかというと、一度、私はその男に「店の中でスト

ーカー行為はやめるように、でないと警察を呼びますよ。」と警告を

した事があった人物だったからです。

私は騒ぎを聞きつけて来た他の職員にお客さんを店外に誘導するよう

に指示をすると、その男に

「おい、刃物を捨てろ。これ以上やったら大変な事になるぞ」と言い

ました。

すると男は「うるせぇ!」と一度は私に包丁を向けました。

しかし私は何故かこういう修羅場になると逆に冷静になり恐怖感とか

パニックになるということはないのです。

そして意を決してもう一度男に

「いいから刃物を捨てろ!」と一喝したのです。

すると男は何かを叫びながら包丁を床に投げ捨てたのです。

私はその機を逃さず男に駆け寄り、首を取り大外刈りで倒し抑え込み

に入りました。

*私は一応、警察官を目指したことから柔道と空手の経験があります

そして間もなく警察官が数名着たので身柄を引き渡しました。

本当は素人がこんな行動を取ってはいけないことは分かってはいます。

しかし、もし私が制止しないでパートさん(元奥さん)が傷付けられ

たり、お客さんに矛先が向かったらと考えると何もしないということ

は私にはできませんでした。

 

ただ本当に素人は危険ですから正義感だけで刃物を持つ人間に対峙す

るなどということはしてはいけません。

私はただ単に運が良かったというだけの話です。

 

私は何故か様々な事件・事故・トラブル・ハプニングなどに遭遇する

機会が多いのですが、これも私の「引き寄せの法則」による特殊なも

のなので皆さんは出来るだけ平穏にお過ごしくださいね。

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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旅の話(サイパン・ロタ編)

これは私と妻が結婚する前にサイパンとロタ島に行った時の話です。

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私はこの頃にはだんだんと海外旅行にも慣れてきていました。

この時もサイパンに向かう飛行機内でルンルン気分で気持ちはすでにサイパ

ンに飛んでいました。

機内を見渡すと9割9分が日本人でしたので、到着後にイミグレーションな

どの入国手続に時間が掛かり待たされることが嫌でしたので、飛行機を降り

るなり早歩きで一番に手続カウンターに到着しました。

そうしましたら、一番初めに行ったから一番初めに出られるだろうという考

えが悪かったのか、カバンを開けろだの中身を全部出せだのという検査(意

地悪)にあい、結局は一番最後に入国するはめになってしまい妻に叱られて

旅は始まりました。

そんな怪しい人間に見えたのですかねぇ~(;^_^A

 

次の日の午前中は戦争の残骸や歴史が残る場所を観光したり、ジャングルを

四輪駆動車で爆走したりするアトラクションを体験したりして過ごし、午後

にはホテルのプライベートビーチでのんびり過ごしていました。

ハワイや沖縄のビーチ(海の色)も綺麗で素敵なのですが、サイパンのそれ

はまた他とは違うキレイさがあり素敵でした。

その時に日本人の新婚旅行ペアと仲良くなり、夕食後に「これも何かの縁」

と部屋飲みして交流したのを覚えています。

年齢は少し上の大阪から来た新婚さんでした。

とても良い人達だったことは覚えています。

 

三日目に我々はサイパンとグアムの真ん中辺りにあるロタ島に行くツアーに

申し込んでいました。

ロタ島まではセスナ機で1時間程のフライトだったように思います。

当時のロタ島にはホテルはありましたが、自動車用の信号機もなく、ほとん

ど開発が進んでいない場所でした。

拠点となるホテルに貴重品を預け、そこから少し離れたビーチに車で行き

シュノーケリングなどを楽しんでいました。

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その時に少し離れた岩場の方から女性のキャーという悲鳴が聞こえたのです。

私が何事かと視線を向けると、その女性は我々に向かって「助けて~」と叫

んできたのです。

そう言われたら行かないわけにいかない性分ですので、すぐに走って行きま

した。

すると中年の女性が岩場の方を指さし「旦那が!旦那が!」と悲壮な顔で私

をみるのです。

私が足下の悪い岩場を慎重に進み指さす場所を見ると、男性が頭を下にして

岩と岩の間に挟まっていました。

私は直ぐに状況を理解しました。

その男性は足を滑らせるか引っかけて頭から転倒し自力で動けないのだと。

そして私は1m程下の岩に頭を突っ込んでいる男性のTシャツの首元を掴む

と力の限りに引き上げました。

すると男性の体は浮き上がり手が使える状態にまでもっていくことが出来ま

した。

そして私の助力と男性自身の力で岩場から抜け出す事ができたのです。

そして男性が私に「ありがとうございます」と言葉を発した時には、転倒の

際に岩でなったのでしょう、顔や腕や足などに多数の擦過傷があり血がにじ

んでいました。

私は「大丈夫ですか?頭は打っていませんか?」と聞くと

「大丈夫です」としっかりとした返答が返ってきました。

そして私が手を貸しながら岩場から脱出すると、改めてその中年男性と女性

は「本当にありがとうございました助かりました」と頭を下げたのです。

なので私は「もうすぐランチを運びにホテルの人間が来るはずだから、その

車で戻って手当をした方が良いですね」と言うと、中年のカップルは

「そうします」と言い、やっと少し笑顔を見せてくれました。

そして我々は唯一ある日よけの簡易なスペースでホテルの人間の到着を待っ

ていました。

現在なら携帯(スマホ)でもメールでも連絡手段はあるのですが、いかんせ

ん当時はまだ何もない時代でしたし、ロタ島には信号機すらない場所ですか

ら、こういう緊急時には困るものだと、この出来事を思い出す度に感じてい

ます。

自然を楽しむのに、こんな災難が待っていようとは誰も想像しませんからね。

でも当時私が一般の若い男性よりは少し力が強くて良かったです(*^^)v

 

そしてロタ島からの帰りのセスナでもう一つだけエピソードがあります。

セスナ機は6人乗程のさほど大きくはなく我々二人と別のカップル2名を乗

せて飛び立ちました。

しかしスコール(夕立)が迫っていたせいで機体は案外と揺れていました。

しかしパイロットが我々にしきりに、カタコトの日本語まじりにこう言うの

です。

「これからロタ上空を旋回しピクチャーチャンスを作るからカメラを用意し

てくれ」と。

私達、乗客は「イヤイヤ、写真はいいから操縦に専念してくれ!」と返すと

パイロットは「大丈夫!私は元エアフォース!」と高笑いしだしたのです。

そして離陸後まもなくして揺れる機体もお構いなしに、島の上空をガンガン

旋回し「ピクチャー、ピクチャー」と笑っているのです。

これって今でもサービス精神なのかイジメなのか疑問なんですよね~

そんなこんなで帰りは雨雲を避けたりしながらのフライトで少々時間をかけ

て何とか無事にサイパン空港に到着したというお話でした。

 

このサイパン旅行もとにかく海はキレイだし気候は良いし晩飯のサーロイン

鉄板焼きも美味しかったし楽しかったです(^^♪

 

でも皆さん、国内旅行はともかく、海外旅行で何のトラブルもエピソード

もない平穏な旅って無いんじゃないですか?

何かしらの起きるし、やらかしますよね~?

 

まぁ~とにかく旅は楽しいって事で!(^^)!

 

今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

 

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26年経ちました

今日の7月1日は私にとっては忘れられない日付の一つになります。

忘れもしない26年前の7月1日に私は自宅駐車場で動けなくなっている

ところを発見され救急搬送された日です。

 この時から人生が大転換し、闘病と修行の日々へと入っていきました。

 

この日は土曜日で晴れていて、すごく熱い日でした。

私は仕事だったので、いつもと変わらずに身支度をして準備をしていまし

た。

ただその時から何となく倦怠感というか身体が重い違和感を感じていたの

を覚えています。

もう一つ違うのは、この日は実家の引っ越しがあり仕事で手伝いに行けな

い私の代わりに妻が長男を連れて、お腹の中に長女がいる身体で行ってく

れることになっていたことです。

 

私はいつもの時間に家を出て、この日の仕事である臨店(店舗の巡回点検

と指導)に車で向かいました。

しかし時間を追う毎に身体が重くなるというか、とにかく運転すらかった

るくなってきたのです。

そして午前中に一店舗の臨店を終えたあたりで、あまりの倦怠感と体調の

違和感に

「なんか今日はこれ以上、仕事をするのは無理だ。というか、何かこれ以

上は危険な気がする」

という感覚になり、事務所の当直の人間に午後は早退する旨を伝えて家路

につきました。

何とか頑張って家に着き、昼時を少し過ぎていたので、軽く何かをお腹に

入れたら昼寝でもしようとカップ麺を食べ始めました。

すると、だんだんと目まいがしてきて意識が遠のく感覚に襲われてきたの

です。

私自身、人生で初めての体感でした。

そして私は「これは何かがおかしい。ただの風邪や疲労や貧血などとは何

かが違う」と物凄い恐怖感というか危機感に襲われてきたのです。

そしてとにかく病院に行こうと、財布や車のキーなどの最小限だけ握りし

め家の外に出て車のドアを開けようとした時です。

さらに強いめまい(浮遊感)に襲われ、目の前が真っ暗になり、その場に

しゃがみ込み、動く事ができなくなってしまったのです。

その様子をはす向かいのお宅の方が見ていて声を掛けて下さいました。

「どうした?具合でも悪いのか?」と。

私はやっとのこと「動けないんです」とだけ答えました。

すると「直ぐに救急車を呼んでやるからな」と言われ、私は頷きました。

 

そして遠のく意識の中で救急車のサイレンの音が聞こえた時に少しだけ

ほっとした自分がいました。

 

病院に到着すると医師なのか看護師なのかが私にしきりに声を掛けます。

「病院ですよわかりますか?話せますか?」とか…

私は何とか意識はありましたので単語で

「目まいが…」「目の前が真っ暗…」とか答えた気がします。

そこから後で知ったのは、血圧が200を超えていたので降圧剤を使った

そうで、血圧が下がるとともに意識がハッキリしはじめました。

そして医師から「今日は土曜で午後でもあるから詳しい検査ができないか

ら、もう少し回復したら帰宅して月曜に再受診するか念のために入院する

か決めて」と言われ、私は帰宅することを伝えました。

そして点滴中で動けない私は看護師さんに「妻に迎えに来て欲しい」旨の

連絡を頼むと教えた実家の電話に連絡をしてくれました。

そして点滴も終わり、意識も完全に戻った私は誰もいない病院の待合室で

妻の到着を待っていました。

すると夕刻になりかけていた頃に顔をこわばらせた妻が迎えにやってきま

した。

看護師から妻に状況と今後の説明がなされ帰路に就くころには、もう日没

が迫っていたのを記憶しています。

 

と言うのが26年前の7月1日に私の身に起こった出来事です。

 

そして、この日を境に仕事に趣味に旅にと元気に過ごしていた私の人生が

「闘病と修行の日々」に大転換をするなどとは夢にも思っていませんでし

た。

 

この日から私は

「強い目まい’(浮遊感)・腰痛・背部激痛・耳鳴り・倦怠感・手足のこわ

ばり・意識の遠のきなどなど」の症状が現れだしました。

それが今日の26年にも亘り大小の波を繰り返しながら付き合い続けてい

るものなのです。

 

救急搬送から当病院では内科・外科・耳鼻咽喉科・脳外科・整形外科・泌

尿器科まで受診と検査をしましたが原因は不明でした。

それからというもの大学病院を始めとする大病院をいくつも受診しました。

親戚の私の仲人は某製薬会社の役職ある方でしたので、様々な名医と言わ

れる医師も紹介され受診に行ったこともありました。

しかし、どこに行って何の検査をしても異常なしで終わりです。

しかし私は確かに歩くのも立っていることすらも出来ない程の様々な症状

に苦しんでいたのです。

この時期は絶望のどん底にあえいでいました。

と言うのも、この原因不明の症状を抱えながら、その際中に「両耳の滲出

性中耳炎」での簡易手術「腰椎分離症」「頸椎捻挫」「上前歯茎のう胞摘

出手術」「肋骨骨折」などを同時に進行させていたし

それで仕事は休職と復職を繰り返し妻と子二人、家のローンを抱え、地獄

と感じるほどの生活を送っていたのです。

 

そんな時間経過の中で、初めは妻のすすめでスピリチュアル(霊的真理)

を少しずつ学びだしました。

それと期を同じく名のある霊媒師の除霊をうけたり、大きく名のあるお寺

の除霊を受けたり、これも名のある霊能者の御言葉を頂戴しに行ったり、

関係書物を読みあさるようにもなりました。

 

しかし、どれも私の体調不良を快方に向かわすことはありませんでした。

そしてついに私が師匠と呼んでいる方(霊能者)との出会いを果たすので

す。

その方は妻の友人の親戚で私が過去に御言葉を頂戴しに行った霊能者の下

で修行の経験もあるお方でした。

その方に私は人生を大きく変える、今の私の基を作ることになる言葉(霊

視)を受けるのです。

私の話を聞いた師匠は私の事を案じ霊視をしてみようと重い心臓病の体で

私のもとにやってきました。

そして私の霊視をしてくださり、こう告げたのです。

「あなたの前世はかなりの高僧であったようです。しかし政治と民との板

挟みの中で苦しみ僧侶にはあるまじき自決未遂をしてしまった。命は取り

とめたが、相当に重い後遺症に苦しみ、また精神的にも自戒の念に苛まれ

苦しみ、この世を去ったようです。

そのカルマこそがあなたが今世で学ぶべき課題。その前世の思いを受け、

あなたは世の為、他人の為に生きる道を選ばなければならない。

そのカルマを克服した時にあなたの体調不良もきれいになくなるでしょう。

それとあなたの父方の祖先は男系が皆、早死にですね?

その祖先があなたに因縁を断ち切って欲しいと切に願っています。

その役目も一手にあなたが引き受けているようです。

あなた自身は気付いていないかもしれないが、あなたは私などよりも何倍

も霊能の力が強く、天からの守りも強く、期待も大きい人です。

今日、この時から修行に励めば、将来は天に導かれし人になりますよ」

と言われたのです。

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その時に私はそれまでの苦しみと辛さがこみあげてきたのと

何か神か仏の姿でもみたかのような高次な力に包まれ大号泣してしまい

ました。

そして、その時に誓ったのです。

私は変わろう!

できるだけ、世の為、他人の為に生き、天に導かれし人間になろうと。

 

ただ、そう簡単に人は変われるものでもありませんし、簡単な修行も

ありません。

ただ26年前の7月1日から20年は続いた様々な地獄のような辛く

苦しい症状から少しづつ改善の傾向にはあります。

それに、ここ2か月は大きな症状の苦しみも出現していません。

 

いくら霊能力があっても自分自身のことを霊視するのは本当に難しい

ことなのですが、どうやら私のカルマ(課題)の克服も近く、苦しめ

られた闘病からも抜け出せるトンネルの出口は近くに見えています。

 

長文になってしまいましたが、要は私にとって今日は「人生記念日」

なのです。

これからも頑張り過ぎない生き方で精進し、経験と感動(喜怒哀楽)

を積み重ね、世の為、他人の為になれるよう努力します。

 

今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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全てが順調な一日

今日はここ(夕刻)まで、いつになく全てが順調に行った一日でした。

このことは神様、仏様、ご先祖様、守護霊様など私を守ってくださっている

全ての存在に感謝しかありません。

 

午前中に出張カウンセリングが入っていましたので、まだ雨の残る中を車を

走らせていました。

すると、ほぼほぼ法定速度を守っているからなのか、何故か赤信号に引っか

かることなく目的地に予定時間よりも早く到着し相手を待ちながら精神統一

する時間も十分に取れました。

 

そして2時間弱に及ぶカウンセリングをしましたが、相談者様から

「すべて腑に落ちたし、納得し前に進む勇気が湧いてきた。本当にありがと

うございます」と感謝の言葉をもらうことができました。

私にとってはカウンセリングをして、このように相談相手に感謝され少しで

もお力になれることが何よりの喜びになるのです。

 

そして気分を良くした私は一人ランチにと帰路の途中にある好きなレストラ

ンの一つであるロイヤルホストに立ち寄りました。

以前に記事にも書いたロイホのオニオングラタンスープはマストで外せませ

んが

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ランチメニューを見ていて気になった「黒✖黒ハンバーグ」というものをチ

ョイスしてみました。

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するとこれが正解で、スパイスがほどよく効いて想像していたよりも

美味しかったです( ^)o(^ )

ここでも順調に推移し一人ランチが楽し時間になりました。

 

そして車を走らせていたら、先日何かのテレビで観た100均の「ダイ

ソー」の便利グッズのことをふと思い出し、ついでに買って帰ろうと

寄り道を決意しました。

そして「ダイソー」に行き売場をウロウロして目的の商品を探してい

たのですが、どうしても見つけることができませんでした。

 

「おかしいなぁ~あるとすれば、この辺の売場に違いないんだけどな

ぁ~」と半ば品切れを覚悟して店員さんに尋ねてみました。

「すみません、あの先日テレビで観たのですが、調味料のビンなどに

付いている手で取れないビニールのキャップ部分を外すグッズがある

と思うのですが何処か教えていただけませんか?」と尋ねると

「あ~それならここらにあるはずなのですが…」と探してくれました

が「申し訳ありません。無いですね~売り切れかもしれませんね…」

と店員さんも顔を曇らせた時に、棚の一番上段の隅っこの、しかも一

番奥に他の商品に隠れて一つだけあった商品を発見しました(*^^)v

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私は思わず「あ!これこれ!やったぁ~あったわ~」と声を弾ませてしまい

ました。

すると店員さんも

「最後の一つ、あって良かったです」とマスク越しにでもわかる満面の笑み

で互いにハイタッチでもするかの勢いで大笑いしてしまいました。

欲しかった物が最後の一つって、めっちゃ嬉しくないですか( ;∀;)

 

と言う具合に、今日は私のやることなす事の全てが思い通りに行くという

順調な一日でしたという話です。

 

大袈裟な表現になりますが「人生とは小さな決断の連続である」という言葉

を思い出し、とっても良い一日を過ごすことができたことに心からの感謝の

念を抱きました。

 

まぁ調子に乗らなければ、たまにはいいですよね(^_-)-☆

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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因縁と聞いて…

この記事ではスピリチュアルの視点からの嘘・ホント編で

「因縁はすべて取り除いたほうがいい?」です。

 

私は小学校時代から野球を地域のスポーツ少年団ではじめて、学生時代は

プロ野球選手、警察官、消防官になりたいという憧れから野球や武道をし

てきました。

その自らの経験やメディアなどが、よく「因縁の対決!」という言葉を使う

ことがあります。

それにここ約26年間におよぶ闘病経験からのスピリチュアル(霊的真理)

への傾倒から「因縁」というワードをよく耳にしてきました。

自らの霊媒師による霊視経験からも「因縁」という言葉をかけられました。

ではここでお題の答えをお伝えします。

答えは✖です。

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答えを端的に言うと、因縁の影響を受けるかどうかは本人の持つ波長次第

で、因縁がない人などは存在しませんし、因縁があるから人は生きている

のです。

 

霊能者と言われる人が多様しているようなイメージがあるワードに「あな

たは因縁が強いから不幸なのだ」というようなものがあるかもしれません。

 そんなことを霊能者から言われたらショックを受ける方もいるのではない

でしょうか…

しかし、そこで霊媒師に除霊などをしてもらっても一時しのぎにすぎない

ということを知っておいてください。

大切なのは自分の波長であり「因縁が強いから不幸」などと言われて波長

が下がることの方がよほど危険です。

 

過去に冷酷な事や残虐な事をした祖先がいたといます。そのために苦しめ

られた未浄化霊が子孫である自分たちに霊障を及ぼしてくる可能性は確か

にあるし現に存在します。

しかし恐れおののく必要はまったくありません。

その家系の人間が皆、霊障(災い)を受けるということではないからです。

この世のどんな事象にも「波長の法則」は働きますから未浄化霊の影響

を受けないように波長を高く保てば大丈夫なのです。

 

実は私も過去に霊能者(霊媒師)から幾度も家系の因縁について指摘をさ

れてきました。

それは私自身が霊能力を有し、お役目を持って生まれたが故にであり、万

人に当てはまることではないのです。

そこで私が学んだことは、過去の祖先の悪しき行いによる霊障(災い)を

怖がり、ビクビクとして生きるのであれば、そのために苦しんだ霊たちに

償いの心を持ち愛のある生き方(ボランティア活動等)をした方がよほど

霊たちの浄化につながるということです。

 

しかし「因縁」という言葉は、どうしてこんなにも暗く恐ろしく響いてし

まうのでしょう。

「因縁」とは要はカルマのことです。

カルマとは人生の課題ですので、カルマがない人など存在しませんし、カ

ルマがあるから現世に生まれてきて生きて課題の克服のために努力(経験

と感動の積み重ね)をしているわけです。

なのでとどのつまりが「因縁」(カルマ)が無くなったら、現世(この世)

にいる意味はないのです。

なので「あなたの因縁をすべて取り除きましょう!」などという霊能者

霊媒師)がいたとしたら残念ながらその方は偽物ということになります。

 

繰り返しの結論になりますが不幸な出来事やふりかかった災いを「因縁」

のせいにしたり、ただただ恐れるのではなく、その影響を受けないような

波長を保つ(生き方をする)ということが大切なんだということですね。

 

どうですか私の説明で少しは理解していただけたでしょうか?

伝わっていれば幸いなのですが…

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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元気のようで何より

今日の記事は短く。

 

昨日の夕刻に嬉しくもありホッとすることがありました。

4月29日付記事に「緊急突入」というのを書いたことの続報となります。

 

詳細は是非とも過去記事を読んでもらいたいですが、簡単に説明すると、

我が家のはす向かいの家の一人暮らし方と連絡がつかないので倒れている

と思うと身内の方が我が家に助けを求めてきました。

その助けの求めを受けて戸締りがしてある雨戸を外し、サッシのガラスを

割り突入すると部屋で倒れている住人(あばさん)を発見しました。

そして、すぐに生存を確認し脳梗塞であると判断したので救急搬送をした

という経過です。

 

そのおばさんはやはり脳梗塞であって、命は取りとめたものの半身不随の

後遺症が残ってしまったのです。

以来、病院や施設で暮らしていたので我が家のはす向かいの家はその一件

からずっと空き家になっているのです。

 

たまに家の様子を確認しに、ご家族がみえていましたが、なかなかタイミ

ングが合わずにおばさんの現在の状況を聞けづにいたのです。

ですが昨日タイミングよく家の様子を見に来たご家族と話をすることがで

きました。

すると、あの一件から10年の月日が経過しましたが、脳梗塞で倒れてい

たおばさんは今も施設で元気に過ごしていて、半身は不自由ながらも頭は

はっきりしていて楽しく過ごしているようだと教えてくださいました。

 

私はいつもそのお宅を見ると「おばさんは元気にしているか?」と気にか

けていましたので、元気に過ごしているという知らせに安堵と嬉しさで胸

が熱くなりました。

本当に良かった‼

と言う話です。

 

皆さんにも、もし現状報告を怠っている大切な方がいらっしゃるのなら

たまには連絡して下さいね。

きっと喜ばれますよ(^^)

 

ではこの辺りで〆させていただきます。

今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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