kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

26年経ちました

今日の7月1日は私にとっては忘れられない日付の一つになります。

忘れもしない26年前の7月1日に私は自宅駐車場で動けなくなっている

ところを発見され救急搬送された日です。

 この時から人生が大転換し、闘病と修行の日々へと入っていきました。

 

この日は土曜日で晴れていて、すごく熱い日でした。

私は仕事だったので、いつもと変わらずに身支度をして準備をしていまし

た。

ただその時から何となく倦怠感というか身体が重い違和感を感じていたの

を覚えています。

もう一つ違うのは、この日は実家の引っ越しがあり仕事で手伝いに行けな

い私の代わりに妻が長男を連れて、お腹の中に長女がいる身体で行ってく

れることになっていたことです。

 

私はいつもの時間に家を出て、この日の仕事である臨店(店舗の巡回点検

と指導)に車で向かいました。

しかし時間を追う毎に身体が重くなるというか、とにかく運転すらかった

るくなってきたのです。

そして午前中に一店舗の臨店を終えたあたりで、あまりの倦怠感と体調の

違和感に

「なんか今日はこれ以上、仕事をするのは無理だ。というか、何かこれ以

上は危険な気がする」

という感覚になり、事務所の当直の人間に午後は早退する旨を伝えて家路

につきました。

何とか頑張って家に着き、昼時を少し過ぎていたので、軽く何かをお腹に

入れたら昼寝でもしようとカップ麺を食べ始めました。

すると、だんだんと目まいがしてきて意識が遠のく感覚に襲われてきたの

です。

私自身、人生で初めての体感でした。

そして私は「これは何かがおかしい。ただの風邪や疲労や貧血などとは何

かが違う」と物凄い恐怖感というか危機感に襲われてきたのです。

そしてとにかく病院に行こうと、財布や車のキーなどの最小限だけ握りし

め家の外に出て車のドアを開けようとした時です。

さらに強いめまい(浮遊感)に襲われ、目の前が真っ暗になり、その場に

しゃがみ込み、動く事ができなくなってしまったのです。

その様子をはす向かいのお宅の方が見ていて声を掛けて下さいました。

「どうした?具合でも悪いのか?」と。

私はやっとのこと「動けないんです」とだけ答えました。

すると「直ぐに救急車を呼んでやるからな」と言われ、私は頷きました。

 

そして遠のく意識の中で救急車のサイレンの音が聞こえた時に少しだけ

ほっとした自分がいました。

 

病院に到着すると医師なのか看護師なのかが私にしきりに声を掛けます。

「病院ですよわかりますか?話せますか?」とか…

私は何とか意識はありましたので単語で

「目まいが…」「目の前が真っ暗…」とか答えた気がします。

そこから後で知ったのは、血圧が200を超えていたので降圧剤を使った

そうで、血圧が下がるとともに意識がハッキリしはじめました。

そして医師から「今日は土曜で午後でもあるから詳しい検査ができないか

ら、もう少し回復したら帰宅して月曜に再受診するか念のために入院する

か決めて」と言われ、私は帰宅することを伝えました。

そして点滴中で動けない私は看護師さんに「妻に迎えに来て欲しい」旨の

連絡を頼むと教えた実家の電話に連絡をしてくれました。

そして点滴も終わり、意識も完全に戻った私は誰もいない病院の待合室で

妻の到着を待っていました。

すると夕刻になりかけていた頃に顔をこわばらせた妻が迎えにやってきま

した。

看護師から妻に状況と今後の説明がなされ帰路に就くころには、もう日没

が迫っていたのを記憶しています。

 

と言うのが26年前の7月1日に私の身に起こった出来事です。

 

そして、この日を境に仕事に趣味に旅にと元気に過ごしていた私の人生が

「闘病と修行の日々」に大転換をするなどとは夢にも思っていませんでし

た。

 

この日から私は

「強い目まい’(浮遊感)・腰痛・背部激痛・耳鳴り・倦怠感・手足のこわ

ばり・意識の遠のきなどなど」の症状が現れだしました。

それが今日の26年にも亘り大小の波を繰り返しながら付き合い続けてい

るものなのです。

 

救急搬送から当病院では内科・外科・耳鼻咽喉科・脳外科・整形外科・泌

尿器科まで受診と検査をしましたが原因は不明でした。

それからというもの大学病院を始めとする大病院をいくつも受診しました。

親戚の私の仲人は某製薬会社の役職ある方でしたので、様々な名医と言わ

れる医師も紹介され受診に行ったこともありました。

しかし、どこに行って何の検査をしても異常なしで終わりです。

しかし私は確かに歩くのも立っていることすらも出来ない程の様々な症状

に苦しんでいたのです。

この時期は絶望のどん底にあえいでいました。

と言うのも、この原因不明の症状を抱えながら、その際中に「両耳の滲出

性中耳炎」での簡易手術「腰椎分離症」「頸椎捻挫」「上前歯茎のう胞摘

出手術」「肋骨骨折」などを同時に進行させていたし

それで仕事は休職と復職を繰り返し妻と子二人、家のローンを抱え、地獄

と感じるほどの生活を送っていたのです。

 

そんな時間経過の中で、初めは妻のすすめでスピリチュアル(霊的真理)

を少しずつ学びだしました。

それと期を同じく名のある霊媒師の除霊をうけたり、大きく名のあるお寺

の除霊を受けたり、これも名のある霊能者の御言葉を頂戴しに行ったり、

関係書物を読みあさるようにもなりました。

 

しかし、どれも私の体調不良を快方に向かわすことはありませんでした。

そしてついに私が師匠と呼んでいる方(霊能者)との出会いを果たすので

す。

その方は妻の友人の親戚で私が過去に御言葉を頂戴しに行った霊能者の下

で修行の経験もあるお方でした。

その方に私は人生を大きく変える、今の私の基を作ることになる言葉(霊

視)を受けるのです。

私の話を聞いた師匠は私の事を案じ霊視をしてみようと重い心臓病の体で

私のもとにやってきました。

そして私の霊視をしてくださり、こう告げたのです。

「あなたの前世はかなりの高僧であったようです。しかし政治と民との板

挟みの中で苦しみ僧侶にはあるまじき自決未遂をしてしまった。命は取り

とめたが、相当に重い後遺症に苦しみ、また精神的にも自戒の念に苛まれ

苦しみ、この世を去ったようです。

そのカルマこそがあなたが今世で学ぶべき課題。その前世の思いを受け、

あなたは世の為、他人の為に生きる道を選ばなければならない。

そのカルマを克服した時にあなたの体調不良もきれいになくなるでしょう。

それとあなたの父方の祖先は男系が皆、早死にですね?

その祖先があなたに因縁を断ち切って欲しいと切に願っています。

その役目も一手にあなたが引き受けているようです。

あなた自身は気付いていないかもしれないが、あなたは私などよりも何倍

も霊能の力が強く、天からの守りも強く、期待も大きい人です。

今日、この時から修行に励めば、将来は天に導かれし人になりますよ」

と言われたのです。

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その時に私はそれまでの苦しみと辛さがこみあげてきたのと

何か神か仏の姿でもみたかのような高次な力に包まれ大号泣してしまい

ました。

そして、その時に誓ったのです。

私は変わろう!

できるだけ、世の為、他人の為に生き、天に導かれし人間になろうと。

 

ただ、そう簡単に人は変われるものでもありませんし、簡単な修行も

ありません。

ただ26年前の7月1日から20年は続いた様々な地獄のような辛く

苦しい症状から少しづつ改善の傾向にはあります。

それに、ここ2か月は大きな症状の苦しみも出現していません。

 

いくら霊能力があっても自分自身のことを霊視するのは本当に難しい

ことなのですが、どうやら私のカルマ(課題)の克服も近く、苦しめ

られた闘病からも抜け出せるトンネルの出口は近くに見えています。

 

長文になってしまいましたが、要は私にとって今日は「人生記念日」

なのです。

これからも頑張り過ぎない生き方で精進し、経験と感動(喜怒哀楽)

を積み重ね、世の為、他人の為になれるよう努力します。

 

今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。

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