プロ野球も開幕し球春到来ですね。
今回は前回の記事の続きを書かせていただきます。
中学校の友人と、とある高校に野球部をつくるために入学し同好会と
して活動して1年が経過し私たちも2年生になりました。
そしていよいよ野球部が出来るかどうかの重要な会議が迫ってきた
のです。
同好会が部に昇格するには、運動部・文化部の全ての部の部長の
投票で過半数の賛成票があり可決されることが必須になります。
その会議では、まず我々が全員の前で最後のプレゼンをしなくては
なりません。
ただプレゼンじたいは私には苦ではありませんでした。
いえ逆に得意なものだったのです。
私は小学校時代は児童会長を務めていましたし、中学時代も生徒会
副会長を務めていましたので人前で話をするのは慣れていたのです。
そして当日、私は全部の部長に熱く思いの丈をぶつけました。
「今の時代に高校に野球部がないのはおかしい事」
「我々は夢とわかっていても将来、甲子園を目指せる部にしたい事」
「とにかく野球が大好きな事」等々。
そしていよいよ投票がなされました。
結果は万票で部に昇格することが出来たのです。
嬉しかったですね~震えました(笑)
そうして我々は晴れて部室もいただき「野球部」として活動する
ことになったのです。
でも落ちがついて、初年度の部費はなんと3万円しかつかなかった
のです。これには愕然としました。
なにせバット3本買ったら終わりですから…
でもまぁ~そこは私の図々しいところを発揮して、私が小学生時代
からお世話になっているスポーツ用品店に出向き、今後一切の
道具(ユニホーム一式・バット・ボール・テーピングから何から)
を購入していくという約束をしたら、そこの店主が取引している
某有名社会人チームのおさがりのボールなどを無償で提供して
くださることになったのです。
こういうのを渡りに船って言うのですかね。
それから学校側でも動きがあり、前回の記事に書いた経験ゼロの
顧問先生が美術部の先生を監督に兼務で迎えたのです。
と言うのは公式戦に出場するには顧問だけではダメで部長先生が
必要だという高野連の規定があるからです。
この美術部の先生は野球が大好きで多少の覚えもあるとのことで
自ら志願してきてくれたそうです。
そして何となんと校長先生もコーチとして練習に顔を出すように
なったのです。
校長も野球が大好きで実のところ就任以来、野球部が無い事に
寂しさを抱えていて私たちの事を陰ながら応援していたそうなの
です。
そんなこんなで私と友人の二人は何とか母校に「野球部」を
つくる事ができたのでした。
あの中学校で進路の話をして、何の根拠もなく「よし、いっちょ
やったるか」と始めたことが現実のものになってしまったのです。
これは私たち子供の想いを受け止めてくれた多くの大人たちの
協力のおかげです。
ホントに今でも感謝しかありません。
そしてこの後、初の対外試合や初の公式戦などとドラマは続くの
ですが、それはまた次の記事に書かせていただきます。
今日は邪念や計算などなく、ただただ純粋に白球を追う高校球児
誕生!までで〆させていただきます。
本日もつたない文章の記事を読んでくださり誠にありがとう
ございます。
今日一日が皆さまに善き日になるように祈っております。
感謝!