日本全国で猛威をふるう新型コロナのオミクロン株、これはもう
感染しないで乗り切るのはキセキに近いかもしれませんね。
私の住む埼玉県でも本日から「まん延防止」が実行されますが、
飲食店の時短や酒類の提供云々だけでの効果は・・・
少なからずライフラインや都市機能にも影響が出るでしょうし、
何とか一刻も早いピークアウトを祈るしかありません。
でないと、先日生れた孫にも安心して会えないし(~_~;)
さて、今回でこの間、記事にしてきた「阪神淡路大震災」に関連
する私の体験談は完結編とさせていただきます。
三日間のボランティア活動で帰路についた私達(トラック3台6
名)は疲労もありましたので先を急ぎたいところではありました
が、事故を起こしては本末転倒と休息をまめに取りながら移動し
ました。
その道中、神戸郊外から大阪を通過する頃には車中から街並みを
見ても、そんなに大きな災害が起きているのかと疑う程に風景が
違ったのを記憶しています。
ビスエリアで食べた温かい「豚汁定食」の美味さは未だに忘れる
ことはできません。
帰路についている私達は運転を交代しながらでしたが、疲労もあ
りましたが、ほとんど仲間と会話することもなく、ただただラジ
オだけが流れる時間が続いていました。
その時の私の心境は「私はボランティアだと意気込んで行ったが
何もできなかったなぁ~」と無力感と虚無感に苛まれていたよう
に記憶しています。
そして夜中に埼玉県の会社に到着しました。
私達、第一陣の出発時には多くの人が見送ってくれたのですが、
到着時には誰もおらず我々は各々、自宅に帰りました。
私が家に着くと妻がお風呂を沸かしておいてくれたので、5日振
りの入浴をしました。
温かい湯舟に浸かっていると、ようやく緊張していた気持ちも解
けてきたようで睡魔に襲われ寝てしまいそうになるのを必死に堪
えていました。
その後、軽く食事をしビールを飲んで・・・までは覚えています
が、その後、何処でどう寝たかの記憶はありません。
これで私の足掛け6日(賞味3日間)のボランティア活動は終わ
ったのです。
この記事を読んでいる皆さんからすると、たった三日間のボラン
ティアか~と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし私にとっては何とも表現のしようもない時だったのです。
自分はもっと身体的にも精神的にも強い存在だと思っていました。
しかし、あの被災地の現実(瓦礫の山、火災現場、倒壊した建造
物、余震、寒さ、空腹、衛生状況の悪さ、病人、自由の無さ等々)
を体験すると、たかが三日、されど三日なのです。
そう、その環境にずっといる現地の被災者の方々からすれば帰る
場所があるだけでも幸せであることは重々承知しています。
しかし何の訓練も知識もなく、勢いだけで行ってしまった私には
被災者や犠牲者に申し訳ないという罰当たりな懺悔の気持ちしか
なかったのです。
口が裂けても「良い経験になりました」などとは言えません。
そして一日の休みを経て出勤した私は、会社の皆からヒーローの
ように扱われました。
皆が労をねぎらう言葉をかけてくれるのです。
私は無言で引きつった笑顔を見せるのが精一杯でした。
皆に「実はボランティアらしい事はほとんど出来てない」などと
言えなかったのです。
しかし反省や懺悔ばかりではありません。
現在の私の活動、困ったり、悩んでいる方の道しるべを指し示す事
の糧になる「経験と感動(喜怒哀楽)の積み重ね」の一つになった
ことは間違いありません。
先日の火山の大噴火で被災地に向けて自衛隊の物資輸送なども始ま
りました。
彼らは日頃から特別な訓練を受けていますから問題はないと思いま
すが、何とか少しでも困っている方々の役に立つよう願っていま
す。
神戸や淡路でも今では何事もなかったかのように街並みは復興を遂
げました。
しかし、人の心の復興は完全には成し遂げられていないと思います。
それに日本でも、この先、コロナだけではなく大地震に噴火に水害
などが起きることも視えています。
戦争に関連する事態も起こりそうです。
ですから我々、地球に住んでいる動物たちは何処で何が起きても
決して他人事ではないのです。
その事を肝に銘じ私は生きていきたい、と同時に皆さんにも危機感
をあおるわけではありませんが、何が起きるか分からないという気
持ちと出来うる準備だけは整えておいていただきたいと存じます。
これにて私の27年前の出来事の記憶の記事を終了とさせていただ
きます。
今日も生かしていただけていることに心から感謝します。
本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。