kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

小さな親切

ご無沙汰しております。

またまたお久しぶりの更新になります。

わたしは日々、鑑定の相談相手と疲れ(ストレス)と寄り添いながら

過しております。

 

今回も何を書こうかと考えましたが、今日は「小さな親切の日」だと

知り、少し書いてみようかと・・

親切と聞くと、例えば電車やバスに乗っていれば席を譲ったり、車に

乗っていれば道を譲ったり、歩いていれば落とし物を拾ってあげたり

というのが王道かと思います。

また私が今、生業としている人の相談に乗ることも大局的には親切に

なるのでしょうか?

対価をもらっている時点で、それはないか(^_^;)

しかし改めて「親切」というのを考えてみると定義や大小を確立する

のは大変に難しいことですね。

人によってそれを「親切」と取るか、当たり前と取るかも価値観によ

るだろうし、しかも大きい小さいを決めるのも困難だと感じます。

「小さな親切大きなお世話」とも言いますしね。

私の最近の事例を書けば、我が家の隣は空き地なんですが、持ち主が

しばらく草刈りをしていなくて、道までせり出す程に雑草が生えてい

ました。

空き地はともかく、道にせり出しているのは大変に気になっていたら

近所の方が自宅の草刈りのついでに、せり出した草をきれいに刈って

くださったのです。

その様子を見た私は「ご苦労様、本当にありがとうございます助かり

ます」とお礼を伝え、ペットボトルの冷えたお茶を渡しました。

するとご近所さんは「いやいや機械だし、ついでだから」と笑ってお

られました。

私はその行為も嬉しかったのですが、その返ってきた言葉と笑顔の方

が嬉しかったです(^^)/~~~

だってついでとはいえ、その気持ちが感謝に値するじゃないですか。

こんな方や、こんなご近所付き合いをしていれば、何処でも何方でも

トラブルは起きないだろうなぁ~と強く思います。

 

「一日一善」なんて言葉がありますが、「親切」「善き行い」なん

て意識してやれるものでもないし、やれるものでもありません。

「小さな親切」なんて言っても、大袈裟に聞こえるかもしれませんが

その人の日々の生き方によるところが大きいのだと私は思います。

そんなことを天(神様)は見ているのでしょうね(^_-)

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝いたします。

本日もご訪問くださり誠にありがとうございました。