kisekisupport’s diary

様々な経験と感動を記していきます

宿命とはいえ・・(トルコ大地震)

トルコで起きた大地震でのトルコとシリアを合わせた犠牲者が

4万1千人を超えたそうですね。

これは町一つの人口が、ごっそりと亡くなられたようなもので

本当に恐ろしいし心が痛みます。

心からのお悔やみとお見舞いを申し上げますm(__)m

このような大地震地震大国の日本に住んでいると、とても他人事

ではありません。

ただ、これから書くことは穿った見方と感じる方もおられるかと思

います。

まず甚大なる犠牲を出しているわけではあるのですが、この多くの

場合が家屋の損壊によるところが大きいというものです。

すでに建築の違法性(手抜き工事)などが言われていますが、この

規模の揺れが日本で起きても、ここまでの家屋の倒壊は発生してい

ないでしょう。

それは、阪神淡路大震災東日本大震災熊本地震などの歴史を見

ても明らかです。

日本は歴史的に数えきれない程の大きな地震を経験しているからと

言えなくもないですが、耐震構造という点では世界でも群を抜いて

います。

次に発災後の避難生活でも日本国とは大きな差を感じます。

報道によるとトルコでは治安の悪化からドイツの救援隊が撤退した

り、インフラの問題もあるのでしょうが、宗教的、政治的な事から

真面な避難生活もおくれないと聞きます。

どうしても多くの国では、宗教の違いや政治的な背景により差別が

強くあるようです。

すれば少数派や弱い立場の人々は大きな不利益を被ることになるわ

けです。

しかし日本国では大きな災害時にも、宗教観や政治信条などで大き

な差が生じ大問題になったとは聞いたことがありません。

大災害時は皆、助け合い(互助の精神)が勝ります。

この二つの例だけを見ても日本国のそれと、トルコ・シリアのそれ

では大きな差が生じているわけです。

これを単なるお国柄だと済ませてしまうのは、あまりにも非人道的

なように感じます。

今回のトルコ・シリアという国に生まれてきた(居た)人々は一言

で済ませてしまえば、自分で選んだ「宿命」だからとなるかもしれ

ません。

確かにその国に住む事を選んだり、そこで大きな災害に遭う事は、

自らが決めた魂の学びと言えます。

ですが、それだけで切り捨てるように話を終わらせてしまって良い

のでしょうか・・

私はこう強く思うのです。

何の因果か、同じ時代(時間)に地球という星に住み、同じ赤い血

が流れる人間として生きている者としては、遠い外国で起きた事と

して見て見ぬふりを決め込むことだけはできません。

もっと言えば「類魂の法則」により、広義の見地からは同じ仲間で

あり親戚です。

であれば、直接、瓦礫をどかしに行く事もできないし、インフラを

直してやることもできませんが、何か出来る事はないかと探してし

まうのです。

失われた命は決して戻ってくることはありません。

ですが、そこに遺された人々は、これからもそこで暮らさなければ

ならないのです。

災害に遭われたのは「宿命」であり「運命」だから仕方ないと片付

けるだけではなく、明日は我が身と感じていたいなぁ~と強く思う

のです。

皆さんはこの災害について、どんな感覚をお持ちになられています

でしょうか・・

 

では今日も生かしていただけていることに心から感謝します。

本日もご訪問頂き誠にありがとうございました🙏

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